一寸先はヤミがいい

〜薬剤師ガンサバイバー 今日も前向きに〜

2021-01-01から1年間の記事一覧

26 美しいと感じる心

じっくり観ること、じっくり聴くこと コロナ禍で、美術館や映画館に行くこともなくなり、もっぱら家で読書する、音楽を聴く、TVで美しい風景を鑑賞することしかできなくなりました。 結婚するときに相手に何を求めるのか?と考えたときに、私は、「同じ価…

25 常識とは?

私たちは昔から常識という言葉をよく使ってきました。 「あの人は困った人ね、常識がないんだから」 「そんなの常識よね」 どうも「常識」という言葉は誰もがわかっているようで、わかっていない言葉のようで、最近は、年齢の違う人と話すときに、この常識と…

24 東京というところ(6)

東京の食文化 私は小さいころから魚料理が大嫌いでした。 結婚するまで、魚料理が嫌いなのは、私のわがままで、肉料理が好きだと思いこんでいました。 夫の両親は関西の人で、義母に教わったお料理は、今までとは全く違い、カルチャーショックを受けました。…

23 がんという病気(3)

病人ではない人生を生きる がんは病気ではありますが、病人になる必要はないのです。と前回(2)で書きましたが、これは大事なことです。 がんになった人に対して、 「意外とお元気そうですね」「お元気そうで良かった」と、まわりの方は本人を気遣っての言…

22 東京というところ(5)

昭和の三種の神器と言ったら、「テレビ」「冷蔵庫」「洗濯機」ですが、ここでは最後の洗濯機について話しましょう。 洗濯機 洗濯とは、布をこすったり叩いたりすることで布から汚れを浮かせ(分離し)る、または布地に石鹸を浸透させ汚れを落としやすくして…

21 健康であること

今年の競泳の日本選手権は涙なくしては見られませんでした。 池江璃花子さんの復帰、4冠は、こんなことがあるのか?と驚きとともに、彼女が心細そうに出場していた初日から、段々と選手として自信をみなぎらせる顔になっていく様子がTVを通して国民全員が…

20 東京というところ(4)

自家用車 幼いころの写真で、ボンネットの上にちょこんと座っている自分の写真がとても印象的だったことを覚えています。 黒い「オースチン」という自家用車でした。 日産オースチンA40サマーセットは、日産自動車が1953年から1954年まで生産販売した小型乗…

19 がんという病気(2)

宗教に触れること 私が子どものころ、1週間に1度、ある家の2階に子どもたちが集まって、イエスキリストの話を聞く会がありました。 今考えると、キリスト教の布教活動の一端だったのではないかと思いますが、きれいな絵が印刷された紙を1枚いただき、キ…

18 東京というところ(3)

昭和30年台の子どもたちの生活 そのころ、兄姉は中学、高校生でした。 昭和22年生まれ~24年生まれまでは、第一次ベビーブームで、「団塊の世代」と言われますが、何しろ東京の公立の学校(このころは公立が一番教育水準が高いとされていた)のクラスは40人…

17 「未熟」と「成熟」

一人前になるということ 結婚しました!というはがきを頂くと、その中に 「まだまだ未熟な私たちではございますが 今後もご指導ご鞭撻の程よろしくお願い致します」 という文章が必ずと言ってよいほど書かれている。 未熟とは? 学問や技術などの経験・修練…

16 東京というところ(2)

東京オリンピック前 東京というところ(1)では、前回の東京オリンピックのあとの東京の変貌について書きましたが、今回は東京オリンピック以前の東京のこと、私の知る限りを書いてみたいと思います。 昭和28年2月1日にテレビの放映が始まりました。 サラリ…

15 人間は進歩したか?

進歩か?退歩か? 以前に、科学技術が進んで私たちの暮らしは進歩しているという話をしましたが、 本当に進歩しているのでしょうか? 昔より生活は便利になり、教育水準も上がりました。 ところが、 電気は溜めておけるが、胃に食べたものは溜めておけない。…

14 人生思い通りにいかないもの

失恋したり、仕事に失敗してしまうことは、みんなが経験することですが、人生は思い通りに行かないことばかりです。 思い通りに行っているように見える人も、実は悩んでいるのです。 私の子どものころは、思い通りに行かないことが多すぎて、何とか知恵を絞…

13 うつになる前に(2)

うつ症状を感じたら 大事なことは、まず予防することだと言いましたが、もしなってしまったら、うつ症状に早く気付くことが大切です。 症状が悪化すると自分ではどうにもできない状態になってしまうので、軽いうちに自分で感じることです。 自分で感じること…

12 うつになる前に(1)

うつ症状とは うつ症状とは、いわゆる“抑うつ気分”や意欲や喜びの低下です。 これは人によってさまざまな症状となって現れます。 例えば、眠れない、食欲低下、動作が緩慢になる、怒りっぽくなる、全身に痛みが出る、 などなど。 進行すると感情の起伏がなく…

11 科学の進歩とは?

よりよい暮らしのために 私が子供だった頃、大人たちは輝いていた!という話をしましたが、大人たちには、私たち子どもたちの未来のよりよい暮らしのためにという目的がありました。 あの頃では考えられなかったインターネットや携帯電話を、今では当たり前…

10 東京というところ(1)

東京オリンピック 前回のブログで、うつ病の話をしましたが、なぜこんなに生きづらい世の中になってしまったのでしょうか? 私は小学5年生の時に東京オリンピックを経験しました。 東京のど真ん中で生まれ、東京育ちの私は小学校でオリンピック音頭を踊りま…

9 がんという病気

がんという病気が私にもたらしたもの 私は小さいころから人間の身体にとても興味がありました。 父が開業医で、外科出身だったため、診療室で簡単な手術をしていました。 昔は家族で父を支えていたため、私は照明係で良く使われました。今では信じられないこ…

8 がんと闘うか??

がんは闘える病気 私はどんな副作用が出ても治療を続ける覚悟でした。 現在乳がんは闘える病気と言われています。 実際抗がん剤の効果があり、副作用も少ない分子標的薬も多くあります。 これらの薬を使用すれば、ステージ4の場合、根治はできなくても延命…

7 人を信じること

主治医とよく話し合うこと 私の主治医はおだやかなやさしい先生です。乳腺外科の先生で、執刀もお願いしました。 先生の対応の仕方でこちらの受け止め方もかなり違ってくると思います。 幸いおだやかな先生ですので、困った顔でステージ4を告知なさいました…

6 死ぬまで生きられるんだ

ブログの始めに書いたように、私は64歳の時に乳がんステージ4と診断されました。 先生からそう聞かされたとき、どう感じたのかについて書いて行きます。 がん告知の気持ち 診断されるまでに、マンモ検査やレントゲン検査・CT検査をし、細胞診もしたので、そ…

5 注射(ランマーク)開始

骨粗しょう症について (転移した骨への治療) 今までの抗がん剤は転移した骨にも効果があったようで、画像でははっきりとはわからないのですが、骨の状態は当初のままで、増殖していないとのことでした。 骨への転移はとても判断が難しいそうです。 骨代謝…

4 左乳房全摘出手術

私 「もちろん全部摘出してください!」 主治医 「あなたの場合は左乳房が全部なくなるけど……。それでいいですか?」 「乳房再建※もできますが、再建したい場合は、手術前に決めてください。」 私 「良いです!何しろ全部取ってください!乳房再建はしません…

3 抗がん剤治療開始と副作用

乳がんの細胞障害性抗がん剤治療開始(2018/11/15~2019/4/15) AC療法(3週間ごとに点滴X4回)1回目 アドリアシン(心不全や心筋障害を起こすため一生に1度しか投与できない薬)とエンドキサンによる治療。 この薬の副作用を調べるため、最初の投与時だけ1日…

2 治療開始

前回お話したように、乳がんステージ4と診断されてからの経過です。 肺の手術 まずは肺に転移した乳がん細胞(どこにあっても転移なら乳がん細胞になります)を手術で除去し、退院したのは、最初のがん宣告から1か月半後のことでした。 その頃から、腰椎の…

1 一寸先はヤミがいい

2018年9月乳がんステージ4と 診断された時、私は64歳でした。 乳がんは突然就寝時に現れました。 子供を3人産んだ頃から左乳房の周りがちょうど浮き輪のように硬くなっていました。 特に調べることもなく30年が経ち、突然浮き輪の真ん中にピンポン球が現れた…