99 沖縄は梅雨入り
GWに沖縄に行ってきました
今年のGWは1週間お休みが取れたので、沖縄に行ってきました。
感染者がどんどん増えているものの、3回目のワクチン接種も終えたので、思い切って1週間行ってきました。
まず、沖縄は1か月早く梅雨入りすると知ってはいたものの、東京のGWはいつもお天気がいいことが多いので、すっかり同じものだと思いこんで、青い海・青い空 を想像しながら・・・。
今年は少し早目の5/4に梅雨入りしてしまいました。
前半は雨も降らずに曇天で、ちょうどよい涼しさでしたが、段々と寒くなり、気温を見ると、東京のほうが暖かいではないですか!
1月に来たときは、寒くてダウンを買い求めたほどでしたし、8月は台風の隙間に来ることができたので、一番いい季節はいつ?と考えましたが、2月と11月がよいとわかりました。
沖縄復帰50周年
今年は沖縄が日本に返還されて、50年の年だそうで、全国的にイベントがあります。
沖縄の歴史は奥が深いので、まずは沖縄県立博物館(おきみゅー)に行きました。
お城(グスク)をイメージした建物だそうです。
琉球王国は、室町時代に、琉球貿易(日本・中国・朝鮮・東南アジアなどの各国間を結んで行われた中継貿易)で富を得て、独自の文化を発展させてきました。
1429年に成立した琉球王国の政治、外交、文化の中心だった首里城は第二次世界大戦の沖縄戦で消失しましたが、戦後、跡地には琉球大学が建てられていましたが、大学移転後に復元事業が推進されて、1986年には国が国営公園整備事業として首里城の建設を決定。
1992年、正殿などが復元され、国営公園として開園しました。
2000年には世界遺産となり、県民の心のよりどころとなっていました。
ところが、2019年10月31日未明に、正殿内部から発生した火災により、正殿をはじめする9施設が焼失しました。
火災は約11時間にわたり燃え続けた後に、鎮火されました。
沖縄戦で建物は全て焼失しまたが、戦後、国や県が復元を進めてきました。
2019年2月に復元プロジェクトが完了したばかりだったという。
建物は中国と日本の建築文化を取り入れ、独自のアレンジも組み込んだもので、復元に関わった高良氏は「琉球を象徴する存在だ。戦後の復興過程で、強い思いを込めて復元した沖縄のアイデンティティー。損失は計り知れない」と指摘しました。
現在は、復元作業が進んでいて、「見せる復元」を掲げて、復元状況を見ながら首里城の見学ができます。
首里城の近くに、今年4月30日にオープンしたばかりの那覇伝統織物事業協同組合と琉球びんがた事業協同組合の染め織の体験・発信拠点施設「首里染織館suikara」に行ってみました。
首里織とは、沖縄に存在する織物全てをさすとのことでした。
琉球王国時代は平民は赤や黄色のような着物は着られなかったそうです。独特な模様と織り方に魅了されました。
琉球王国ですが、豊臣秀吉が天下統一すると、琉球は朝鮮出兵で兵糧提供を義務付けられます。
江戸時代の1609年、徳川家康の許可を得て、薩摩藩の島津氏により、琉球は征服されますが、戦国乱世を生き抜いた島津の鉄砲隊に、琉球側はなす術もなく、敗北してしまったそうです。
琉球は薩摩島津氏に服属しながら、中国との朝貢貿易を継続していました。
辛くも独立国の立場を守ってきた琉球ですが、明治時代になり、明治5年(1872)、大蔵大輔の井上馨が、琉球国の領地と人民を日本政府のものにするという建議を日本政府に出し、これが通ります。
こうしていわゆる「琉球処分」が行われ、外国との直接交渉は禁止、琉球国王の尚泰は藩知事となり、ほかの大名と同じ扱いになっていくのです。
結果、琉球国王は君主としての立場は失われ、家系は日本の華族として継続することになりました。
さらに、明治12年(1879)になると、日本政府が軍隊300名余と、警官160余名を派遣して首里城に入城、城を明け渡させて、廃藩置県を布告します。
このような強制的な形で、琉球は日本の領土になったのです。
私たちは、当たり前のように、沖縄は日本の領土であり、沖縄県人は同じ日本人だと思っていますが、実は琉球は独立国で、長い歴史の中で日本の中に組み込まれてきたという歴史の流れを知ることが、沖縄を理解する上でとても大事なことだと思い知らされました。
現在、上野の東京国立博物館で、沖縄復帰50周年記念 特別展 「琉球」開催中。
では今日も1日前向きに!!