25 常識とは?
私たちは昔から常識という言葉をよく使ってきました。
「あの人は困った人ね、常識がないんだから」
「そんなの常識よね」
どうも「常識」という言葉は誰もがわかっているようで、わかっていない言葉のようで、最近は、年齢の違う人と話すときに、この常識という言葉の持つ意味が微妙に異なっている感じを受けることが多くなりました。
そもそも、「常識」って何?
明治35年の三省堂の英和辞典には、「常識」=コンモン・センス(Common Sense)とあります。
もともとあった日本語ではなく、英語を日本語に訳したものでした。
ここではコモン・センスということにします。
1776年1月にトマス・ペインによって発行されたパンフレットのタイトルでした。
1775年よりアメリカ独立戦争が勃発。
合衆国独立を支持する勢力は必ずしも多数派ではありませんでしが、1776年1月10日より『コモン・センス』がフィラデルフィアで発行されると、3か月で12万部を売り上げたと推測されるほどの爆発的ヒットとなり、合衆国独立にむけた世論が熟成されていったようです。
この社会革命家のペインは、アメリカ独立を通し、法律や社会秩序、生活や権利などにおいて「コモン・センス」がどのような意味を持つのか、何が「コモン・センス」であるのかを明確に唱えたのです。
アメリカを自由と調和、平等と幸福に導いたのがこの本でした。
これは、その半年後に発表されたジェファーソンの「独立宣言」の内容に多大な影響を与えました。
そして日本の明治維新の前年の慶応2年(1866年)に出版された『西洋事情・初編』で、福沢諭吉が「アメリカ独立宣言」を訳しています。
その後、明治5年(1872年)に出版された「学問のすゝめ」の一文の
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」はこのジェファーソンの独立宣言の一部を和訳したものであるといわれています。
このコモン・センスは、そのまま直訳すると、「共通の感覚」ですが、これを「常識」という言葉に置き換えたわけです。
常識には2つあって、あらゆる人間に共通な、人類的な常識もあれば、社会によって異なる常識もあるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくありません。
人類的な常識とは、人間に共通の感覚、ですが、人間だけに備わる基本的な精神の能力を、生活のためにどう働かせるのが正しいのか?
人間が持っている知識と判断力、いわゆる知恵を働かせるといいかえることができるのではないでしょうか?
常識という言葉以前には、孔子の「論語」の中に「中庸」という考え方がありました。
「中庸」とは?
単なる「知」ではなく、知の働きあるいは知を働かせるその方法である、とあります。
孔子の思想は、質問する意思・疑う意思を大切にすること、いい方を変えれば、生活のために正しく問うことが大切であって、人間にふさわしい解答は、質問の形でしか得られない、といっていると思うのです。
正しく問うことにより、深く考えるプロセスが大事なのであって、回答を出すことが目的ではないということなのでしょう。
※常識とは、正しく問うことによって生活のためにどう働かせるのが正しいかを考えることだと思うのです。
ですから、時代が変われば常識も変わるのが当たり前だと思います。
※:あくまでも個人の見解であり厳密には異なる可能性があります。
日本人のコモン・センスを信じています。
では、今日も1日前向きに!!