19 がんという病気(2)
宗教に触れること
私が子どものころ、1週間に1度、ある家の2階に子どもたちが集まって、イエスキリストの話を聞く会がありました。
今考えると、キリスト教の布教活動の一端だったのではないかと思いますが、きれいな絵が印刷された紙を1枚いただき、キリストの教えを聞いたのだと思います。
お菓子もいただけるので、子どもたちは喜んで集まったと思います。
我が家は仏教を信仰していたのに、なぜ両親はその教室に子どもたちを通わせたのか?
今となっては聞くこともできず、なぞのままですが、今考えると、私はそこで道徳(生きるということどういうことなのか?幸せとは何なのか?)を学んだような気がします。
私はそこでいろんな話を聞いて、自分で考えることが大好きでした。
宗教には無頓着な両親でしたから、大きな目的があったのわけではなかったと思います。
ラジオ番組で、「心のともしび」がありました。
タッタッター タラタララー タッタッター(楽曲名:メリメント)
河内桃子さんのナレーターで、キリスト教(カトリック)の教えを放送していたのですが、1話、1話が具体的なお話になっていてとても聴きやすかったと記憶しています。
調べてみると、ラジオ放送「心のともしび」は昭和32年(1957年)近畿放送(現在は京都ラジオ)から始まり、全国放送になったそうです。
オープニング曲はベートーベンの交響曲第6番「田園」第一楽章だそうです。
私が聴いていたのは昭和39年(1964年:オリンピックイヤー)より夕方にやっていた「太陽のほほえみ」というラジオ番組で、オープニングに流れていた曲がこのメリメントだったようです。1996年より、この二つが1つになって「心のともしび」に統一されたそうです。
哲学者になる
人間は思春期になると自己のアイデンティティーを確立するために、誰でもある種の哲学者になると思います。
なぜ生きるのか?なぜ働かなくてはならないのか?勉強は何のためにするのか?
など今まで何の気なしにしてきたいろいろな事が不思議に思えてくるのです。
アイデンティティーの確立はなるべく早くした方がいいと思うのですが、人によっては、全くそこにたどり着かない人もいます。
そのまま死を迎えられれば、それはそれで幸せなのかもしれませんが、どこかできっと気づくときが来るのだと思います。
病気、特にがんのような死に直結すると思われている病気になってしまうと、このことに気づかざるを得なくなります。
それまでに考えたことがある人はさほど悩まないのかもしれませんが、突然、死を目の前にして、ほとんどの場合、本人はもちろん、家族も不安を抱えることでしょう。
がんは病気ではありますが、病人になる必要はないのです。あなたは病気の前も後もあなたそのものなのですから。
最近では不安を抱えたがん患者さんやその家族のために、がん哲学外来や腫瘍精神科といったものが創設されています。
中でもがん哲学外来は、NPO法人として全国に活動の場を広げています。「言葉の処方箋」を読んでみてください。
AYA(思春期・若年成人)世代は特に「がん」という病気をかかえ、将来に対する不安や孤独を感じている人も少なくありません。
小川 糸著の「ライオンのおやつ」は末期のがん患者さんのための療養施設の中でのお話です。
私はがんになってからこの本と出会いました。
とても深刻な話ですが、なぜか心がほっこりして、がんで死ぬのも悪くない、と思わせてくれるお話です。
がん哲学外来では、この本の中のようなメディカルヴィレッジ(末期がんの人々の療養施設)の設立を目指しているそうです。
では、今日も1日前向きに!!