6 死ぬまで生きられるんだ
ブログの始めに書いたように、私は64歳の時に乳がんステージ4と診断されました。
先生からそう聞かされたとき、どう感じたのかについて書いて行きます。
がん告知の気持ち
診断されるまでに、マンモ検査やレントゲン検査・CT検査をし、細胞診もしたので、それまで乳がん検査を怠ってきた結果なので、どんな結果が出ようとしようがないと思っていました。
もともと硬かったお乳の周りから、急に出現したように思えた乳がんとは言え、がん自体が相当大きかった(直径3cmくらいのボール)ので、がんかな?がんじゃないかな?いや、がんに決まってる!と心は揺れ動いていましたが、私の本来の性格でしょうが、最悪を想定することで腹をくくろうと思いました。
こんなに大きいので、リンパには転移しているだろうな、とは思っていました。
もしかしたら1年生きられないかもしれない!と思うと、そうだ、死ぬまで生きられるんだ!
私には限られた時間しかないんだから、死ぬときに笑って死ねるようにしようと自分でも想定していなかった明るい未来が見えたのです。
これこそ、一寸先の闇に光が見えたのです。物は考えようでいくらでも変わるということですね。
自分の両親や高齢者と接する機会が多かったので、年を取るということが必ずしも楽しいことではないこと、できないことが多くなり、病気がなくても気分も沈みがちになること、みんなが口をそろえて“早くお迎えが来ないかしら?”を目の当たりにして、自分もこういう高齢者にはなりたくないな〜と思っていました。
でも、当の高齢者は自分がこうなりたくてなっているわけではないのです。
自分達のお手本(良いも悪いも)になるような高齢者を今まで見たことがないのですから。
常々こんなことを考えていたので、命の終着点をがんが教えてくれたことは、私にとっては朗報でした。
もし若い時にこうなっていたら、全く違う気持ちだっただろうとは思いますが・・・。
ですから、先生からのがんの告知で、青天の霹靂!なんてことはありませんでした。
先生のお話はこうでした。
乳がんで、リンパに転移している(ステージ3)、肺と骨に転移しているので、ステージ4になります。
あなたの場合は手術はまたあとで考えることにして、まずは抗がん剤を始めましょう。
やはりショックでした!!
乳がんのステージ4の5年生存率は30%。
手術はあとで考える?どういうこと?
肺への転移についてはがんが散らばっていたら手術もできないし、どんどん進行するだろうから、これから大変になるだろうな。
最悪の想定以上の最悪の状況。
仕事復帰どころか、残された時間は1年ないかもしれない・・・なんて頭の中でグルグルと考えを巡らせていました。
ところが私の思いとは裏腹に、先生は間髪入れずに、肺には1個しか見当たらないから、手術して取りましょう!
ただし、これが肺への転移なのか、肺にできた違うがんなのかは取ってみないとわかりませんがね。
というわけで、私は考える暇もなく、入院・手術の準備をすることになり、あっという間に肺の手術(胸腔鏡手術)を終え、それが乳がんの転移だったことがわかったのです。
入院は5日間でした。
とは言え、ステージ4という状況は変わらず、5年生存率は30%ですから、常に死を意識して生活していくことになります。
その後の私の気持ちの変化
ところが、その間に腰の椎体に転移したがんが増殖していて、肺の手術を終えて退院する日にまともの歩けなくなっていました。
ショックはいつの間にか痛い!に代わり、怖いとか、悲しいとかの感情が沸き上がる暇もないほどの早さで、毎日が目まぐるしく過ぎて行ったのです。
痛い!つらい!錐体のがんが足の神経を圧迫しているのか、足を動かすこと、それ以前の足を延ばしていること自体が痛いのです。
足を縮めて小さくなっているのが一番楽、といっても痛いのですが、唯一入浴が私の最大の楽しみでした。
下半身を温めることに寄って痛みが消えました。
衣服の上から貼るタイプの温湿布が重宝しました。
坐骨神経痛はマッサージの方から言われました。
鍼治療が一番効果がありましたが、マッサージの方に、下肢の痛みの中で坐骨神経痛が一番つらいです!と言われ、下半身を切り離してしまいたいと思うほどでした。
この間の私の気持ちは、がんであることを考える余裕がありませんでしたので、まずはこの痛みから解放されたい!!それだけでした。
この後車いすでの抗がん剤の治療が始まり、3週間ごとの2回目を終えたあたりで、急に下半身の痛みが取れてきたときは、天にも昇る気持ちでした。
では次回をお楽しみに。
今日も前向きに1日頑張りましょう。