17 「未熟」と「成熟」
一人前になるということ
結婚しました!というはがきを頂くと、その中に
「まだまだ未熟な私たちではございますが 今後もご指導ご鞭撻の程よろしくお願い致します」
という文章が必ずと言ってよいほど書かれている。
未熟とは?
学問や技術などの経験・修練がまだ十分でないこと、つまり人生経験が浅く、いろいろな困難にあったときにうまく乗り切る知恵やスキルを持っていないということでしょう。
だからそんな時に私たちを教え、導いてください、といっているのです。
成熟とは?
人間の体や心が十分に成長すること。つまり一人前になるということでしょう。
現代は体は成長しても、心が十分に成長していない「オトナ」が、どれほど多いのでしょう。
そしてそれは年々増えているように思えます。
こういう「オトナ」は一人前とは言えないのではないでしょうか。
これ以上行っては危ないという感覚、ものごとの軽重の判別、これらをわきまえて初めて一人前と言えると思うからです。
子どもはみんな未熟です。一人前の大人の中で、はじめて未熟が守られるのです。
もっと一人前にあこがれるべきです。一人前の意味もわからず、体だけ成長した「オトナ」にならないでほしいです。
そして未熟なものは一人前に対して、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い致します、という気持ちを忘れないでいてほしいと思います。
社会は成熟したか?
昭和の高度成長期時代は、みんな活気があって、キラキラしていた、と以前書きましたが、
みんなが同じ目標、つまり未来の子どもたちのために良い社会にしていこう、という方向に
向かっていたのですから、疑うことなくせっせと働いたのだと思います。
このころは生産力優先の時代と言っていいと思います。
明るく、強く、疑いを持たず、ただひたすらに・・・。
今は、高度成長期が終わり、バブルがはじけて、頂きからゆっくり降りてきている状況だと思います。
この社会の変化は、成熟している過程といっていいのかもしれません。
やみくもに生産力だけを優先して頂点まで登り詰めたところで、バブルがはじけて、いあや、待てよ、今までのやり方、間違っていたかも?と今度は疑いを持ち始めたのです。
高齢化社会になり、働き手である若者の人数が減って、いやおうなしに、生産力優先とは行かなくなったこと、明るく、強く、疑いを持たず、ただひたすらに・・・という時代から、暗い、弱い、疑いだらけの・・・という時代になってきたのではないでしょうか。
今まで考えないようにしていた、心の問題、信仰の問題に向き合う時代と言っていいのかもしれません。
日本人は現実を直視する、ということが苦手な国民性ではないでしょうか。
誰かが何とかしてくれるという甘え、依存の傾向が強く、アイデンティティーの確立、本当の意味の自立ができていないような気がします。
現代社会は未熟から成熟に向かう過程であることは確かですが、それはちょうど、子供が大人に成長するときの思春期に当たるような、激しい葛藤、アイデンティティーの確立の時代と言っていいのではないでしょうか。
誰にも頼れない、日本人が真の日本人となるための混とんとした年月が必要なのかもしれません。
しかし、忘れてはならないことは、私たちは成熟に向かっているということ、決して未熟に戻ってはいけないということです。
日本人の根底にある、弱者との共生、あらゆるものに神が宿る、という精神を大切に、日本人のアイデンティティーを確立していかなければなりません。
日本人は無宗教と言われますが、決して無宗教ではないと思っています。信仰心は誰にでもあるはずです。
経済的に頂点にまで登り詰めた今、ゆっくりと下山するためには、それまで必要としていなかった心の問題(宗教、信仰)が、必要になっていると思うのです。
人間の一生も同じで、若い時は働いて山を登り、頂点に着いたら、後はゆっくり下山して、死にたどりつく。
人間的に成熟した最期を迎えたいものだと思います。
では、今日も1日前向きに!!