一寸先はヤミがいい

〜薬剤師ガンサバイバー 今日も前向きに〜

20 東京というところ(4)

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自家用車
 

幼いころの写真で、ボンネットの上にちょこんと座っている自分の写真がとても印象的だったことを覚えています。

黒い「オースチン」という自家用車でした。

日産オースチンA40サマーセットは、日産自動車が1953年から1954年まで生産販売した小型乗用車。

イギリスの自動車メーカーブリティッシュ・モーター・コーポレーション (BMC) のオースチン部門が1952年から1954年まで生産した乗用車でした。

 

mmj-car.com

 

我が家は父も母も免許を取得していたので、私たち子どもたちを毎週末、夏は海(江の島や逗子・葉山)へ、冬はスキー(菅平)へ連れて行ってくれました。

夏は、朝3時に起きて、おにぎりとおかずを詰めて(コンビニのような便利なものはありませんでしたから)、日の出前には車で出発します。

子どもたちは海水着のまま、海辺に着くとすぐに浜辺にテントを張って、泳いでは体を焼いて、真っ黒になっていました。

今のように紫外線も強くなく、皮膚がんになる恐れもなかったのは幸いでした。

家からビニールボートを持参して空気を入れて、子どもたちを乗せて沖に行き、泳げなくても放り出す!というスパルタ教育でした。

背のたたないところに放り出されるわけですから、自己流でもすぐに泳げるようになりました。

 

10時ごろにお弁当を食べて、12時には体の砂をすっかり振り落とし(洗う場所もなかったので、その前にしっかり陽に当たって、砂を落とす)、洋服に着替えて(当時、海の家はなかったと記憶しています)車に乗り、帰宅するのですが、途中に必ず横浜の中華街により、行きつけの「鴻昌(コウショウ)」で、兄たちにはまずラーメンを1杯づつ食べさせ、お腹を膨らませておいて、おもむろに料理を頼む、というパターンでした。これが両親の作戦でした。

 

私たちきょうだいは、18歳(大学生)になると免許を取らせてもらい、取得して最初の運転は、両親を乗せて箱根や伊豆まで運転することです。

車の中では、両親にずっと怒られっぱなし、これもスパルタでした。

 

冷蔵庫

このころの三種の神器とは、テレビ・冷蔵庫・洗濯機でした。

電気冷蔵庫が普及したのは、1950年代後半です。

 

それまでの冷蔵庫と言えば氷を使って冷やすものでした。

これは2ドアの木製の木の冷蔵庫の上の段に氷を入れ、下の段に冷蔵しておきたいものを入れて冷やすというしくみの冷蔵庫です。

我が家にもこの冷蔵庫があり、製氷屋さんが氷を届けてくれていました。

今のように温暖化ではなかったので、夏は30になると、みんな暑い、暑いといっていました。

ですから氷も見る見るうちに溶けてしまうこともなかったと記憶しています。

 

昭和28(1953)年のヒノキ製の冷蔵箱の値段は8500

これでも10万円以上の感覚であったと思われます。

昭和30年代まではまだ上部に氷を置く木製冷蔵箱のほうが主流でした。

 

1952年に一般家庭向けの小型冷蔵庫(90L)が発売されました。

価格は8万円前後でした。

 

昭和35(1960)年に発売された85リットルの電気冷蔵庫の値段は62000

大卒の初任給の平均が16115円の時代ですから、現在の感覚としては50万円以上したということになるでしょうか。

 

manesetsu.jp

 

1961年には冷凍庫が付いた冷蔵庫が誕生して家庭で氷を作ることができるようになりました。

これは霜取り機能がついていなかったため、定期的に霜取り作業が必要でした。

1970年代には自動霜取り機能が付いていて冷凍庫が独立した2ドア冷蔵庫が主流となりました。

1980年には野菜室やチルド室、製氷機付きの冷蔵庫がすでに登場してきました。

 

www.peltism.com

 

ベッド

ベッドは昭和31年、当時双葉製作所(現フランスベッド)がソファーベッドを製造、販売開始したのがきっかけといわれています。

その後、昭和38年以降に普及して、その後床張りの部屋が増えていくのもこうしたベッドの普及がきっかけといえます。

 

私の子どものころの我が家は、床張りで、兄弟が多かったせいもあり、子どもたちは作り付けの2段ベッドで寝ていましたが、両親は昔ながらの畳の部屋で布団を敷いて寝ていました。

布団は出し入れに手間取りますが、部屋を有効に使えるというメリットがあります。

 

私の祖父はとてもモダンな人だったので、ライティングデスクといって、キャビネットの扉を手前に倒して開けると、その扉の背面がデスク面となるタイプの家具で、書き物をするデスクとブックシェルフが一体になった、広い場所がなくても配置できる机を使用していました。

また壁にそのまましまえるベッドで寝ていた記憶があります。

また我が家にも母が考えた?英国式?壁にしまえるアイロン台もありました。

 

我が家には、女の子たちの部屋と男の子たちの部屋があり、私は姉と仲良くしていたものの、兄2人はしょっちゅう喧嘩をして、部屋の縄張り争いをしていました。

 

では、今日も1日前向きに!!