15 人間は進歩したか?
進歩か?退歩か?
以前に、科学技術が進んで私たちの暮らしは進歩しているという話をしましたが、
本当に進歩しているのでしょうか?
昔より生活は便利になり、教育水準も上がりました。
ところが、
電気は溜めておけるが、胃に食べたものは溜めておけない。
原発は止められるが、心臓は止められない。
電気や原発は自分の外のこと。胃や心臓は自分の内のことですね。
自分の内のことは他人とやり取りしたり、貸し借りができないのです。
自分・自己・人間は生身の身体にアタマが乗っていると考えてください。
アタマではいろいろなことを考えます。
ですが、生身の身体は、アタマでどんなことを考えていようが、お構いなしに動いています。
アタマをひっくるめた全体、すべてが自分・自己・人間、生命そのものなのです。
私たちの暮らしが便利になったのも、みんなこのアタマがしたことで、このアタマをひっくるめた自分・自己・人間は、はたして進化しているといえるのでしょうか?
欲望(アタマで考えること)はとどまるところを知らないので、どんどん大きくなるばかりです。
欲望とは、自分の思い通りにすることですから、行きつく先は不老不死。そして他人を思い通りに動かすことです。
こんなことが生命そのものの人間の進歩といえるでしょうか?これはむしろ退歩なのではないでしょうか?
安らいはいつまで待っても来るどころか、その反対に、不安になるばかりです。
子どもは欲望のまま行動します。
大人は本来はこの欲望を表に出さず、我慢ができるはずです。
それが大人になる、成長するということです。
ところが、現代では自分さえ良ければという傾向が強く、他人のことなどお構いなしに自分の欲望のまま行動している子どもと同じになっていると思います。
みんなアタマだけで考えた結果です。
これはのぼせているという状態と同じです。
気と血がすべて上部に行ってしまっている状態です。
坐禅、皆さん良く知っていると思いますが、坐禅の座り方は、背筋を伸ばして、顎(あご)を引き、頭が前後左右に傾かないようにする、つまり、アタマをお尻のまっすぐ上に置いて座ることです。
こうすることで気も血も下にさがり、のぼせが解消されて自分・自己・人間本来の生命そのものになるのです。
わがはからいにあらず
わがはからいにあらずとはどんな意味でしょう?
計らいとは、考え、心遣い という意味だと思いますので、自分の考えではないという意味になります。
計らいとは、アタマのすることです。
自分・自己・人間は生命そのものですから、
この言葉は、まさにわがはからいではないもの、つまり自然の力、生命そのものを示していると思うのです。
自分のアタマで考える都合の悪いことが起こったときも、思った通りにいいことが起こったときも、生命そのものにとってはどちらでもいいこと、どちらに転んでも、自分・自己は変わらずに存在する。
五木寛之著 「他力」によれば、目に見えない大きな風が吹いて、その【他力】が物事を運んでいく。
人生、いろいろなことが起こります。
うれしいこと、悲しいこと、楽しいこと、苦しいこと、辛いこと。
何が起ころうとも、自分の乗った船が行く方向に身をゆだねましょう。
そしてただひたすら一生懸命に生きましょう。
きっと大きな風が吹いて、私たちを導いてくれることでしょう。
では、今日も1日前向きに!!