94 在宅医療の難しさ
鈴木医師はなぜ殺されなければならなかったのか?
ふじみ野市立てこもり事件で、主治医の鈴木純一医師(44歳)が射殺された事件は、私たち医療従事者にとってかなりショックな事件でした。
昨年9月、NHKは、デルタ株の感染拡大で入院できず自宅療養を余儀なくされているコロナ患者の自宅を鈴木医師が訪問して診療する様子を取材、連日遅くまで患者の診療に当たっていると報道していました。
患者やその家族が、医師や医療施設に対して、何らかの苦情や不信感を持つことは一般に知られていることだと思いますが、在宅医療となると、それはもっと陰湿になる気がします。
患者さんの生活状況や家族との関係など、在宅ではより患者と医師の距離は近くなり、真実を知ることになります。
患者さんと介護する家族との関係性を知ることは、その後の治療方針・看護や介護方針の柱になると思います
どんなことをしても生きていてほしい、と思う家族もいれば、苦しまない方法があるなら、その方法で最期を迎えさせてほしい、と思う家族もいます。
医師や看護師などはその家族の思いを考慮に入れなければなりません。
そして患者さんとその家族は、自分達のためだけの医師であり、医療従事者であると思いたがるものです。
ところが医療従事者から考えると、どの患者さん、どの家族も、たくさんいる患者さん、家族の中の1人であるので、医療従事者側が、誠心誠意関係を築いても、お互いの温度差はどうしても出てきてしまいます。それが在宅となると、関係が密であるために余計に差が大きくなるのかもしれません。
これは医療従事者だけではなく、ケアマネさんやヘルパーさんにも当てはまることと思います。
こんな事件があると、一生懸命地域医療に携わっている方々のモチベーションが低下してしまうのが一番つらいです。
医師のジェイ・カッツは著書「The silent World of Doctor and Patient(医師と患者の間の沈黙の世界)」の中で下記のように述べています。
医師たちは、自らの目的を達成するためには、患者の身体的・精神的欲求に応える義務があり、そのためには患者に事前に相談することなく、自らの権限で必要な判断を行うべきだと考えていた。
「患者にも意思決定の重荷を医師とわかちあう権利があるのではないか」という考えは、医療の世界の倫理観になかった。
なぜなら、これは医師たちのエゴや悪意ではなく、医師たちが次の2点を確信していたからです。
- 患者はみな治りたいと思っている。
- 患者を治すための普遍的で正しい方法がある。
しかし実際には、医療とはそういうものではありません。
この50年間で、「病気を治療することから患者を治療することへ」とシフトされました。
治療計画の選択肢を提示し、患者に最善の道を選んでもらう様になったのです。
そしてカッツは次のように述べています。
医師がその技能と医学の実践において、自らの善意や判断を過信してしまうのは、愚かで危険なことである。医療はそれほど簡単ではない。医療とは複雑な職業であり、医師と患者の関係もまた複雑なのである。
カッツのこの言葉通り、医療とは複雑な職業で、医師と患者やその家族との関係も複雑です。それだけナイーブな問題で、患者が100人いたら、100様の接し方があると思われます。
鈴木先生は、地域医療のために誠心誠意働かれた方だと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
では今日も1日前向きに!!