医原病
コロナ収束の基準を決められない日本社会の「医原病」的症状という記事(金沢大教授 仲正昌樹)を読み、昔、「医原病」の本を読んだことを思い出しました。
医原病とは?
日本国語大辞典によると、自然発生的な病気に対して、医師の過剰治療、医療過誤、または、治療の合併症として生ずる病気。
キノフォルム剤の過剰投与によるスモン病、薬の中毒によって起こる肝障害など。
世界大百科事典によると、本来,医師の言動に対する患者の心理的反応(誤解,自己暗示など)によって起こる疾患をさすが,現在は,広く医療行為が原因となって不可抗力的に発生する傷病のすべてを包括する言葉として使われる。
医療の組織化が進行しつつある今日,医師・患者間の心理的な関係(相互作用)はますます複雑で微妙なものとなってきた。
自覚症状のある人々(患者)は心身の異常を心配し,ときには恐怖感にかられて医師に近づくことが普通である。
ブリタニカ大百科事典によると、医原性疾患ともいう。
この概念を最初に医学に導入した A.ハースト (1922) は,医師の検査,態度,説明などに起因する,患者の自己暗示によって起った病気と定義している。
しかし現代では,こうした医原性神経症にとどまらず,患者に施した医療が不適当であったり,薬剤などの副作用のために起る疾患も含めて考えられている。
抗生物質の長期にわたる大量投与よって引起された菌交代現象はその代表的なもの。
医師や看護師の医療行為・医療過誤という概念から、医療そのものが健康を害する、特に専門家が医療をコントロールすることによって増悪する病という概念にまで広がってきています。
「医原病」という言葉は、1970年代にイヴァン・イリイチ(イリッチ)という哲学者により提唱されました。
学校、交通、医療といった社会的サービスの根幹に、道具的な権力、専門家権力を見て、過剰な効率性を追い求めるがあまり人間の自立、自律を喪失させる現代文明を批判。
それらから離れて地に足を下ろした生き方を模索した哲学者です。
医原病は下記の4つに分けて考えることができるといっています。
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臨床的医原病
これがいわゆる「医原病」で、医療過誤など、医薬品の副作用や手術ミスや検査にともなう過誤等や、社会的集団的に発生する不可逆な健康被害である薬害、治療を受けたが故に生じた患者側のデメリット全てが含まれる。治療の結果、原疾患による後遺症が生じた例はこれに当てはまらない。
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社会的医原病
今日の医療社会学や医療人類学の用語でいう「医療化」(Medicalization)を指し、医療の対象が拡大していくことを指す。かつては自宅で身近に触れ得た死や出産が病院に囲いこまれていき、自然な過程であるはずの老化も医療の対象とされていき、老人にまで降圧剤治療が行われるようになるなど、現代社会においては、資本主義下の医療のキャラナライゼーション、過剰医療をも意味することになる。
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文化的医原病
医療の対象拡大が人々の思考を無意識に支配するようになった結果、自分の身体、自分の健康にも関わらず主体性を失い、人々がその管理に関して無関心・無責任となり、医師に全面的に任せて平気となる=思考停止し怪しまなくなってしまっている状態を指す。医師による「専門家支配」(Professional Dominance)・パターナリズム医療の所産でもあり、端的に言えば、日本で見られる、いわゆる「お任せ医療」状態のことである。
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電子的医原病
近年、電子カルテの普及と伴い、コンピューターをハッキングすることにより、医療検査データなどが匠な方法で改ざんされ、患者の個人データおよび生命に重大な影響をきたすことが懸念されている。
「医原病」近藤 誠著の中に、
医者と医療情報への妄信と過剰な期待が悲劇を生む!!
健診は健康のためにならず、予防接種は障害をもたらす。
医療にかかわると元気な人でも病気になってしまう。権威や厚生省の言葉をうのみにするのは、もうやめよう!
先の金沢大教授 仲正昌樹氏によれば、
現代の日本人の問題なのは、自分は今現在「健康」なのか、この程度の痛みや不安であれば、耐えていけるので、(医者の助言に逆らったとしても)自分でどうにかしよう、それで取り返しのつかないことになったとしても自分の責任だ、などと考える自己決定能力が育っていない、むしろ欠如しつつあることだ。
最も肝心の「私は『健康』かどうか」、「健康維持のためにどの程度の予防をすべきか」といった自己決定がないがしろにされ、専門家に任せるべき、という風潮が社会全体で強まっていることである。
正しい知識を持って、自分で自分の健康に責任を持つ。
なかなかできないことではありますが、医療従事者がもっと正しい知識を一般の人に教えるべきだと思います。
今日も1日前向きに!