一寸先はヤミがいい

〜薬剤師ガンサバイバー 今日も前向きに〜

50 新型コロナウィルスのパンデミックがもたらしたもの(2)

f:id:aoi_fukurou:20210804170331j:plain

マルクス・ガブリエル氏(1)

最近「世界で最も注目を浴びる天才哲学者」と名高い、ドイツの哲学界のロックスターと言われるマルクス・ガブリエル氏の説く「倫理が勝つ」が注目を浴びています。

 

マルクス氏は、ドイツの名門・ボン大学で29歳と史上最年少で教授に就任、2013年発売の著書『なぜ世界は存在しないのか』は、哲学書としては異例の16の国と地域でベストセラーに。

彼の思想は哲学会に衝撃を与えました。

 

最近の著書に『暗黒の時代における倫理的進歩』(2021年2月16日現在 未翻訳)があります。

そこでは、「危機は倫理的進歩をもたらす」といっています。

人類には自分達の置かれた状況を改善する多大な可能性があります。

危機に直面して、人類は倫理的に行動してきた、と述べています。

 

『倫理』の定義とは何でしょう?

1人ひとりの行動には、それぞれ違う理由があります。

人と会ったり、旅行に行ったり、いろいろな職業を持ったり・・・その行動は倫理とは関係のないものです。

何かをする倫理的な理由とは、人間であるがゆえに存在する理由のことです。

 

人を殺すことがなぜいけないのか?

それは人間として、他の人間にしてはいけないことだからです。

相手が誰であってもです。

これが倫理です。

 

人類がウィルスから得た教訓

命とりになるウィルスを拡散してはいけないのは、相手が人間だからです。

我々のウィルスに対する反応は、ウィルスに人体が脅かされるのを防ぐという意味において、倫理的な働きだと思うのです。

人体が脅かされるから、倫理的なことを考えるのです。

例えば、人種差別・#MeToo(ミートゥー)・環境危機と経済危機

ウィルスと関わる大問題で、誰も言及したがらないのは環境危機と経済危機です。

今回の危機は、金融危機という概念が誕生してから最大の危機で、これまでと違い、あまりにも大規模で、どれほどの脅威なのか把握することすらできないものです。

この経済危機は確実にやってきます。

いや、すでに訪れています。

今議論しなければならないのは、環境危機と経済危機にどう倫理的に対処するかです。

 

倫理資本主義

 人類はウィルスから教訓を得ました。ウィルスは皮肉にも倫理的行動こそが問題の解決策であることを教えてくれました。

世間では倫理的に正しい行動を取ることは自己の利益にならないという認識が広まっています。

このことを突き詰めると、経済と倫理は相反するものであるという結論に達しますが、それはマルクス主義な誤解です。

資本主義は本質的に倫理を攻撃し、破壊するものだとという誤解です。

資本主義のインフラ(生活や産業などの経済活動を営む上で不可欠な社会基盤と位置づけられ、公共の福祉のため整備・提供される施設の総称)、つまり市場インフラを使って、倫理的に正しいこと、例えば、失業者を雇用したり、環境保全を行ったりもできるのです。

これを「ネイチャー・ポジティブ」な経済といっています。

経済的価値体系と倫理的価値体系を一致させることです

反対に悪い経済とは、倫理的価値のあるものと経済的価値のあるものが異なり、儲けるためには人を搾取しなければならないようなシステムです。

倫理的に正しい行動を取った結果、お金が儲かるような経済体制を作ればよいのではないでしょうか。

それを倫理資本主義と名付けました。

 

もし私の仮説が正しいとすれば、世界の経済秩序を考えなおして人間の相互尊重に基づいたビジネスモデルを構築し、そのモデルに沿った有形・無形の財の交換が実現できると思うのです。

倫理的に善い行いを意識することで持続可能性を高め、利益を上げる。

これこそが本当のSDGな企業と言えるのでしょう。

 

コロナ後のビジョン

 この危機を経た後は、環境への配慮が行き届いた、技術的に進んだ世界を思い描いています。

そこではもっとゆったりしたスピードでグローバリゼーションが起き、人々が敬意と感謝の念を持って生きています。

ありがとう」という言葉が頻繁に交わされ、誰もが生きていることに感謝し、人との出会いや食べ物に感謝し、知的な生命が宿るこの地球に住んでいることに感謝しています。

 

news.yahoo.co.jp

 

 マルクス・ガブリエル氏は、日本について、このように語っています。

 

日本人はお互いの気持ちが手に取るように見えるのです。

非常に精神的な文化で、どこに置いても精神が可視化しているので、哲学をするのには大変強力な場所です。

自然には生存する以外に意思はありません。

知性的ではありますが、複雑な思考はしない。

日本では、宗教的に、この考えを受け入れやすいのではないかと思います。

仏教や神道は、一神教よりもずっと自然観に近いと思います。

 

一神教においては、自然は知性的ではなく、愚鈍なのです。

自然が愚かであるという考えは非常に新しい。

2000年前まで、人類はそんなこと思っていなかった。

その前の20万年間、自然は主体だと考えられていたのです。

今こそ、自然が主体であるという考えを復活させなければならない。

倫理的な行動を取らなければ、現代文明は絶滅します。

 

では明日も1日前向きに!!