46 頭と身体
文武両道
「文武両道」という言葉は、文事と武事、学芸と武芸、その両道に努め、優れていることを指す語で、現代では勉学と運動(スポーツ)の両面に優れた人物に対して用いられます。
以前にお話しましたが、アタマ(意識)と身体(無意識)は人間の場合、アタマが上で身体が下と離れています。
全ての動物が離れているわけではないのです。
コウモリは逆さにぶら下がって暮らしていますが、脳の中でも体の割り付けが人と逆になっている(養老猛)そうです。
人間のアタマと身体がなぜ離れているのかは、まだなぞだそうです。
アタマと身体は別の文化を持っていて、そのバランスが取れていることが大事です。
日本において、近年までは身体の訓練、いわゆる「修行」をずつとやってきた結果、生まれたのが「道」であり、「型」でした。
「型」は言語なしに万人に通じるものでした。
ですから言語なしにわかるのです。
ところが、現代はこの身体の訓練、結果的には「型」が失われつつあります。
アタマは言語表現、身体は身体表現で、これまではこのバランスがうまくいっていて、それを文武両道といっていたのではないでしょうか?
最近は身体表現が衰退してきて、言語表現の方が大きくなってきたように思います。
言語表現できないこともたくさんあるのに、理論的に説明できないことはだめ!と決めつけすぎているのではないでしょうか?
子供を育てていると、段々成長してきてホルモンバランスが変化する時期になると、説明できない苛立ちと言おうか、アタマと身体のアンバランスを感じる時期があると思います。
若い時に身体表現(運動や身体を動かすこと)を充分にやっておくことが重要だと思います。
知識と経験のバランス
人間には2つのタイプがいるのではないでしょうか?
どちらかと言うと知識が先の人。もう一つはどちらかと言うと経験が先の人。
私はどちらかと言うと経験が先の人間です。と言うのもどうしても体が先に動いてしまうのです。
そしてじっとして読書するのがあまり好きでなかったこともあります。
極端に言うと、
飛び込み台にあなたがいるとしましょう。
ある人は、下のプールに充分に水がはってあるかどうかわからないのに調べもせずにいきなり飛び込むタイプ。
ある人は、飛び込み台に本をたくさん持ってきて、ここから飛び込んでも大丈夫なのかを研究して、結局飛び込まない人。
どちらもちょっとバランスが悪いですね。
前者はアウトドア派、後者はインドア派と言ってもいいのでしょうか。
経験をすることは、必ず、傷ついたり、挫折したり、壁にぶつかったりするので、そこで自分の反省ができると思いますが、本ばかり読んでいる人は、いろいろな世界は知ることができても、生身の身体で感じることができないので、こう考えるとこうなる、とアタマだけで考えてしまい、行動をすることができなくなるのでしょう。
こう考えればこうなる、こうすればこうなる・・・これはとても大事なことだと思いますが、理論では説明できないことが起こるのが人生です。
私は若い時は傷つくことを恐れずにどんどんいろいろな事に挑戦して、経験してほしいと思います。
しかし、経験するからには、必ず反省することが大事です。反省があるからその先、ホップ・ステップ・ジャンプと飛躍することができるのだと思います。
そしてその反省の中には、必ず読書をしたくなる時期が来るのです。
これが、経験と知識のバランスの取れた状態だと思うのです。
そしてアタマと身体がうまくかみ合っている状態だと思うのです。
現代は情報が多すぎて、アタマがパンパン状態なのに、身体が十分に機能していない状態だと思います。
コロナ禍で身体を動かすこと、経験することが極端に制限されてしまっていますので、アタマがパンパンになっています。
つまりインプット>アウトプットなのです。
何しろアウトプット、つまり人に話すこと、汗をかくこと、涙を流すこと、笑うこと、何でもいいです、是非今までよりもたくさんアウトプットしてください。
そしてアタマと身体のバランスを保つよう努力しましょう。
では、今日も一日前向きに!!