一寸先はヤミがいい

〜薬剤師ガンサバイバー 今日も前向きに〜

34 東京というところ(9)

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NHK放映中の大河ドラマ「青天を衝け」で一躍脚光を浴びるようになった渋沢栄一ですが、私も名前は知っていたものの、なぜ今までそれほど話題にならなかったのでしょう?

 

大正5年に出版された論語と算盤」は渋沢の講演集ですが、全十章からなり、利益ばかり追求する昨今の世の中に一石を投じるように、今、見直されているのではないかと思います。

 

商売をするからには、道徳を忘れてはいけない、利益は国家のために国民に還元するものでなければならない、というものです。

 

薩長土肥による明治維新の時は、渋沢栄一「パリの万国博覧会幕臣として出席していて、日本にはいなかったのですから、驚きです。

江戸時代は鎖国していたのですから、渋沢がフランスやヨーロッパで見たもの、肌で感じたものが、どれだけ渋沢を驚かせたかは、想像を絶するものだったと推察できます。

インターネットで何でも知りえる私たちには、全く想像できませんよね。

 

ですが、大政奉還(徳川最後の将軍の慶喜が政権を明治天皇に返上した)により、徳川家からの資金は途絶え、明治政府によって強制帰国させられました。

 

フランスで学んだ、株式会社制度の実践に向けて画策しているところに、大蔵省に呼ばれて、紙幣寮(現在の造幣局の設立に尽力しましたが、大久保利通大隈重信と対立し、井上馨とともに退官してしまいました。

 

令和6年度(2024年)発行予定の一万円札が渋沢栄一の肖像になったのも、うなずけますね。今までも候補になった事はあるものの、やっとという感じです。

 

www.asahi.com

 

その後は実業界に転じ、数多くの会社を設立し、「日本資本主義の父」と称されるようになりました。

 

rekisiru.com

colorfl.net

 

合本主義、つまり私益のための資本の集中ではなく、公益の追求、より良い社会の実現のために資本と人材を合わせることの重要性を説いたもので、論語と算盤」の中には、道徳経済合一説という理念を打ち出しました。

 

現代は、私益のための資本の集中に偏りすぎてはいないでしょうか?

株式会社は株主のためにあり、渋沢の言う国民全体に還元するものとなっているのでしょうか?

 

渋沢は岩崎弥太郎と生涯対決していたといわれていますが、岩崎が三菱財閥を創設したのに対して、渋沢は財閥を作らなかった※ことからも、考え方の違いが良くわかりますね。

渋沢は事業活動においても、広く国民全体が豊かになる事を希求し、一部特定の人々の利益を求める閥を成すことを嫌ったといわれています。

 

  • 澁澤同族株式会社が戦後GHQによって財閥解体されるときに、財閥と位置付けられたものの、実態はその規模と株式所有企業への支配力の点からも財閥に当たらないと再調査されたものの、財閥指定解除を申し出なかったため、そのままになったとされています。

 

visit-chiyoda.tokyo

 

現在の東京の発展の礎を築いた渋沢栄一は大蔵省を辞任したのちに、貨幣を作るために北区王子に製紙工場を作り、それがのちに王子製紙となったわけですが、王子の製紙工場近くの「飛鳥山」(あすかやま)に4,000坪の土地を購入し、別荘を建てました。現在、飛鳥山には「渋沢資料館」があります。

 

www.touken-world.jp

www.tokyo-np.co.jp

 

生家は埼玉県深谷市の血洗島

 

www.city.fukaya.saitama.jp

 

渋沢は昭和6年、満91歳でこの世を去りますが、アメリカとの友好関係を築いた渋沢が生きていたら、第二次世界大戦をどう見たことでしょう。

 

では明日も1日前向きに!!