69 菜根譚(さいこんたん)
逆境は良薬
渋沢栄一の「論語と算盤」が脚光を浴びるようになりましたが、「論語」は孔子という知恵者が弟子たちに向かって賢明な生き方や学び方や物の見方を語り伝えた人生の指南書ではあるものの、孔子は宗教家でも哲学者でもなく、その後成立した「儒教」の教祖が孔子と思われていることに疑問を呈する見方があります。
「儒教」は思考や信仰の体系であり、その学問的分野に「儒学」があります。
菜根譚は明代末期に優秀な官僚として活躍後、政争に巻き込まれ隠遁したと推測される人物、中国明代の著作家、洪自誠(こう・じせい)が著したものです。
この時代に「官僚」となるためには、「科挙」と言う試験に合格しなければなりませんでした。
家柄や出自に関係なく(18世紀くらいまでのヨーロッパでは、高官は貴族の世襲が当たり前)、ペーパーテストの成績さえよければ高級官僚として登用するというのは、世界的に見ても画期的なことでした。
このペーパーテストに合格するために、儒学を暗記する必要があったのです。
隋の時代に導入されて、最も効果的に機能したのは宋(960年-1279年)の時代と言われていますが、これが1300年以上続いたというのですから、最盛期には3000倍という競争率で、70歳を過ぎてやっと合格した人もあり、その宗族の期待を背負い、あまりの過酷さに精神的に病んだり、受験を断念して失意のあまり自殺する人もいたようです。
受験資格に制限のない「科挙」ではありましたが、科挙に合格するためには幼い頃より労働に従事せず学問に専念できる環境や、膨大な書物の購入費や教師への月謝などの費用が必要で、実際に受験できる者は大半が官僚の子息または富裕階級に限られるようになりました。
中国における高級官僚の地位は、現代の日本のキャリア官僚などに比べると比較にならないくらい強大なもので、古代の中国では伝統的に公金と私財の区別はなく、賄賂も当然のものでした。
官僚は、税や付け届けで集めたお金や供物の中から一定額(一説には、集めたお金のたかだか1%以下と言われています)さえ皇帝に上納すれば、あとは私財とすることが可能でした。
ですからこの試験に合格するということは、一生権力と地位を持ち続けられるわけです。
もともとは優秀な人材を選抜するためのものでしたが、段々と儒教道徳が形骸化し、国の道筋を示すべき政治家や官僚たちが腐敗し、誰もが派閥争いにあけくれ、優れた人材が追い落とされ、ずるがしこい人物だけがとりたてられるようになりました。
そんな時代に生まれた洪自誠(こう・じせい)は、難関の科挙に合格し、優秀な官僚として活躍後、政争に巻き込まれ隠遁したと言われています。
その時書かれたのが、「菜根譚」でした。
「人はよく菜根を咬みえば、すなわち百事をなすべし」という故事に由来。
「堅い菜根をかみしめるように、苦しい境遇に耐えることができれば、人は多くのことを成し遂げることができる」という意味です。
辛酸をなめつくした洪自誠が「人は逆境において真価が試される」という思いをこめてつけたと考えられています。そこには、逆境を経験したからこそ生まれた「生きるヒント」が満ち溢れています。
「逆境」とは読んで字のごとく「逆の境遇」すなわち「上手く行くはずのものごとが、上手く行かない境遇」という意味があります。
人生においてものごとの成り行きが良好ではなく、自分の身の上に苦労が多いこと、また不遇な境遇であることを表します。
ブログ14で、「人生思い通りに行かないもの」に書きましたが、仏教では、人生は生きている限り、欲に終わりはなく、いつも思い通りに行かないものです。
だから知恵が必要になるのです。
ですから、仏教においては、逆境はないのです。
洪自誠が本流から外れて不遇をかこったからこそもちえた冷徹な視点があり、そこから時代を超えた普遍性、鋭い人間洞察が生まれたと中国哲学が専門の湯浅邦弘大阪大学教授は、
菜根譚が時代を超えて読み継がれている理由だといっています。
「逆境は良薬」「逆境は人間を鍛える溶鉱炉」という言葉が出てきますが、「富貴や名声によらない幸福」「欲望をコントロールすることの大切さ」「世俗を超えた普遍的な価値に身をゆだねることの重要性」など、儒教・道教・仏教を融合したと思われる生きる知恵を読むことができます。
私はこの人生においての「普遍的な価値」にとても心惹かれます。
数多い仏教書の中で最も古い聖典である、お釈迦さまの説いた、スッタニパータ(ブッダのことば)が大好きです。
この本を読んでいると、普遍的価値とはどういうことなのかがわかります。
人間はすぐ忘れる、欲に左右される、感情的になる生き物です。
そんな時、この「菜根譚」をバイブルにして読み返してください。
何物にも左右されることのない、普遍的価値を教えてくれることでしょう。
では今日も1日前向きに!!