一寸先はヤミがいい

〜薬剤師ガンサバイバー 今日も前向きに〜

16 東京というところ(2)

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東京オリンピック

東京というところ(1)では、前回の東京オリンピックのあとの東京の変貌について書きましたが、今回は東京オリンピック以前の東京のこと、私の知る限りを書いてみたいと思います。

 

昭和28年2月1日にテレビの放映が始まりました。

サラリーマンの平均月収が、20、822円(昭和27年)で、普及型の14インチ型テレビの値段は17万円もしたそうですから、高価な買い物だったと思います。

ちなみにNHKの受信料は年間200円でした。

 

我が家にいつTVが登場したのかは定かではありませんが、小さいころ、我が家のTVは

窓から道路に向いていて、道路では近所の人々がプロレス中継に熱くなっていました。

というわけで、わが家族もみんなと一緒に道路で観戦したというわけです。

その頃はプロレスラー、力道山ジャイアント馬場の師匠に当たる人)の全盛期で、空手チョップで大きな外人プロレスラーをなぎ倒すので、みんな熱狂していました。

 

野球中継も同時に始まり、後楽園球場(今のドームの前身)の読売ジャイアンツの試合はみんな大好きでした。

また同時に大相撲中継も開始され、昭和36年横綱となった大鵬は特に人気があり、横綱柏戸(かしわど)とともに「柏鵬(はくほう)時代」と言われる黄金時代を築きました。

 

のちに堺屋太一が発したといわれている言葉で、「巨人・大鵬・卵焼き」は、その時代の子どもたちが大好きなものを象徴していて、流行語にもなりました。

 

TVは高価なので、家に1台あれば御の字、大切に扱われていて、使用していない時は、我が家のTVも赤いビロード製の布カバー(織物もある)をしていました。

家によっては、観音開きの木製の箱の中に入れていたところもあったと記憶しています。

家族が多い家庭では、チャンネル権は家長である父親にあり、父親不在時は兄弟姉妹でチャンネルの奪い合い、私は末っ子ですので、いつも悔しい思いをしていました。

今のようにリモコンはなく、TVの右下についているチャンネルをひねるのですが、そのチャンネルをいつも兄が手で持っていて、絶対に離しませんでした。

 

少年ケニヤ」、「少年ジェット」、アメリカの影響を受けて、「パパは何でも知っている」

「名犬リンチンチン」「ヒッチコック劇場」「名犬ラッシー」「ルート66」「ベンケーシー」「コンバット」

 

showa-love.jp

 

特に、パパは何でも知っているアメリカの一般家庭の日常のドラマだったので、ドアを開けたらすぐ居間で、靴を履いたまま家の中に入ることや、椅子の生活システムキッチンをこのドラマで初めて知ったことを覚えています。

一種のあこがれは感じていたかもしれませんが、家の中のお掃除大変だろうな~とか朝食はオートミールだけ?お料理しないの?とか、今の私なら突っ込みどころ満載のドラマでした。とにかく、欧米人にはめったに会えない時代でしたので、カルチャーショックが大きかったのを覚えています。

 

現在の明仁上皇と美智子上皇后のご結婚が昭和34年4月でしたから、まだ白黒TVでしか見られませんでした。

カラーTVが発売されたのは、東京オリンピックの前年の昭和38年で、オリンピックに向けて、日米間の宇宙中継の実験放送がありました。

ちょうどこの昭和38年11月22日、アメリカのケネディー大統領の暗殺事件があり、日本人もTVでこの暗殺事件を見たことは、私にとって大きなショックでした。

 

1ドル360の時代でしたから、海外旅行はほとんどの人ができませんでした。

 

www.city.kitanagoya.lg.jp

 

では今日も1日前向きに!!

15 人間は進歩したか?

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進歩か?退歩か? 

以前に、科学技術が進んで私たちの暮らしは進歩しているという話をしましたが、

本当に進歩しているのでしょうか?

昔より生活は便利になり、教育水準も上がりました。

 

ところが、

電気は溜めておけるが、胃に食べたものは溜めておけない。

原発は止められるが、心臓は止められない。

 

電気や原発は自分の外のこと。胃や心臓は自分の内のことですね。

自分の内のことは他人とやり取りしたり、貸し借りができないのです。

 

自分・自己・人間は生身の身体にアタマが乗っていると考えてください。

アタマではいろいろなことを考えます。

ですが、生身の身体は、アタマでどんなことを考えていようが、お構いなしに動いています。

 

アタマをひっくるめた全体、すべてが自分・自己・人間、生命そのものなのです。

 

antaiji.org

 

私たちの暮らしが便利になったのも、みんなこのアタマがしたことで、このアタマをひっくるめた自分・自己・人間は、はたして進化しているといえるのでしょうか?

 

欲望(アタマで考えること)はとどまるところを知らないので、どんどん大きくなるばかりです。

 

欲望とは、自分の思い通りにすることですから、行きつく先は不老不死。そして他人を思い通りに動かすことです。

 

こんなことが生命そのものの人間の進歩といえるでしょうか?これはむしろ退歩なのではないでしょうか?

安らいはいつまで待っても来るどころか、その反対に、不安になるばかりです。

 

子どもは欲望のまま行動します。

大人は本来はこの欲望を表に出さず、我慢ができるはずです。

それが大人になる、成長するということです。

ところが、現代では自分さえ良ければという傾向が強く、他人のことなどお構いなし自分の欲望のまま行動している子どもと同じになっていると思います。

みんなアタマだけで考えた結果です。

これはのぼせているという状態と同じです。

気と血がすべて上部に行ってしまっている状態です。

 

坐禅、皆さん良く知っていると思いますが、坐禅の座り方は、背筋を伸ばして、顎(あご)を引き、頭が前後左右に傾かないようにする、つまり、アタマをお尻のまっすぐ上に置いて座ることです。

こうすることで気も血も下にさがり、のぼせが解消されて自分・自己・人間本来の生命そのものになるのです。

 

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わがはからいにあらず

わがはからいにあらずとはどんな意味でしょう?

 

計らいとは、考え、心遣い という意味だと思いますので、自分の考えではないという意味になります。

これは親鸞聖人浄土真宗を広めた人の言葉です。

 

計らいとは、アタマのすることです。

自分・自己・人間は生命そのものですから、

この言葉は、まさにわがはからいではないもの、つまり自然の力、生命そのものを示していると思うのです。

 

自分のアタマで考える都合の悪いことが起こったときも、思った通りにいいことが起こったときも、生命そのものにとってはどちらでもいいこと、どちらに転んでも、自分・自己は変わらずに存在する。

五木寛之著 「他力」によれば、目に見えない大きな風が吹いて、その【他力】が物事を運んでいく。

 

www.kateigaho.com

 

人生、いろいろなことが起こります。

うれしいこと、悲しいこと、楽しいこと、苦しいこと、辛いこと。

何が起ころうとも、自分の乗った船が行く方向に身をゆだねましょう。

そしてただひたすら一生懸命に生きましょう。

きっと大きな風が吹いて、私たちを導いてくれることでしょう。

 

では、今日も1日前向きに!!

14 人生思い通りにいかないもの

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失恋したり、仕事に失敗してしまうことは、みんなが経験することですが、人生は思い通りに行かないことばかりです。

思い通りに行っているように見える人も、実は悩んでいるのです。

 

私の子どものころは、思い通りに行かないことが多すぎて、何とか知恵を絞りだしたり、何とか便利にならないものかと研究することで科学が進歩してきました。

 

ところが、現代では思う通りに行ってしまうこと(蛇口をひねればお湯が出る、整形すれば美人になれる、乗り物に乗れば、あっという間にどこにでも行ける・・・)が多くなり、みんなの欲は、どんどん、どんどん大きくなっています。

これは人間が生きている限り終わりがないのです。

いつの世も思い通りに行かないのです。

 

人間は年を取るし、死んでいくのです。

もし年を取らない、絶対に死なない(不老不死)・・・なんてことが可能になったら、どうなるのでしょうか?

なぜ、不老不死ではいけないのでしょうか?

これは大きな問題です。

 

科学は進歩し続けるものではあるけれど、それをより良く使うのか、誰かを苦しめるために使うのかは、私たちの判断に委ねられています。

正しい判断ができる人類でいてほしいと願っています。

 

なぜ不老不死ではダメなのか?

私は64歳の時に乳がんステージ4と診断されました。

その時、死ぬまで生きられるんだ!

という言葉が自然に頭をよぎりました。

そして私の生きられる時間はもうあまりない、だからいつ死んでもいいように、1日1日を大切に生きよう!とエネルギーがみなぎるのを感じたことは、自分でも予想だにしていませんでした。

 

死ぬまで生きられるんだ!

は当たり前といえば当たり前ですが、こんな言葉が心の底から出てくる経験したことありますか?

私は今まで、人間は絶対に死ぬんだから、どう生きるかを考えよう、と思っていました。

でも、いつまで生きるかわからないのにどう考えればいいの?という疑問がありました。

ところが、ゴールを突き付けられて初めて、生きるためのエネルギーがみなぎる気がしたのです。

どう生きるか?一生懸命生きればいい!!

 

お釈迦さまは亡くなる前に修行者たちに言った言葉があります。

 

「私もまた同じように死が近く、そろそろ死んでいくだろう。しかし死は決して悲しみだけではない。死ぬからこそ今を懸命に生きなさい」

 

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死はむなしさではなく、今を懸命に生きるエネルギーなのだと説いてくれています。

 

では、もし死なないとすると、毎日一生懸命生きることはなく、夢ややりたいことがあったとしても、いますべきことではなくなります。

 

今のこの一瞬を懸命に生きることが、不老不死によってできなくなるのです。

 

想像してみてください。

死なない・・・ということが本当に価値のあることだと思いますか?

一生懸命生きて、命を全うすることと、死なないこと、どちらがむなしくつらいことでしょうか?

死は必然、生は偶然です。今自分が生きていることと、人が死ぬこと、どちらが不思議でしょう。

 

私は、今、生きていること、生かされていることに感謝しています。

 

では、今日も前向きに!!

 

不老不死、お釈迦さま、涅槃、ゴータマ・シッタルダ、仏教、生きること、

13 うつになる前に(2)

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うつ症状を感じたら

大事なことは、まず予防することだと言いましたが、もしなってしまったら、うつ症状に早く気付くことが大切です。

症状が悪化すると自分ではどうにもできない状態になってしまうので、軽いうちに自分で感じることです。

自分で感じることができないなら、他人から指摘されることに耳を傾けましょう。

 

早いうちなら、休養を取る、睡眠をとる、医者に診てもらうこともできます。

薬を処方されたのなら、早く薬の力を借りてでも回復することが大切です。

早ければ早いほど、効果が早く出ます。

 

ここで問題は、薬の力を借りた場合、薬をやめる方法です。

最初にうつ病神経伝達物質が減少するために発症すると話しましたが、受け取る側の受容体の状態は、受けるものがなくなるのですから、休んでしまっています。

 

つまり、ピッチャーが球を投げなければ、キャッチャーは受け取る必要がないので寝てしまってもいいわけです。

 

薬はこのピッチャーやキャッチャーを正常に働かせるために使います。ところが、無理して働かされているわけですから、急に薬を中止したらどんなことが起こるでしょう?

 

そう、今までお尻をたたかれていた子供がもうお尻をたたかれなくなるのですから、油断して休養を取るでしょうね。

そうなると元の木阿弥、また伝達物質の受け渡しがうまくいかなくなるわけです。

では、どうしたらいいのでしょうか?

 

運動選手の練習後のクールダウンを思い浮かべてください。

きつい運動を急に止めると、身体はどう回復させてよいか迷ってしまいますね。

これと同じで、薬でお尻をたたかれている状態から、薬の量を少しずつ減らしていくことで

たたく手の強さを徐々に弱くしていくのです。

人によっては、徐々にたたく手を弱くしているのに、もういいや!と思って休んでしまうかもしれませんので、この手の強弱【薬の減増】はとても難しいです。

あせらずに自分に合った薬の減らし方をドクターや薬剤師に相談しながら、自分の身体と相談しながら進めていくことが大事です。

 

薬を服用すると治った気になってしまうので、急に止めて、返って前よりも悪くなる人が多いように感じています。

薬は使いようで、良くも悪くもなります。

正しい知識を持って上手に使いましょう。

 

うつ病も若者が発症するのと、ある程度経験を積んだ年齢で発症するのとでは、ストレスの原因や質も強さも違いますので、今まで述べてきたことが必ずしも当てはまらないでしょうが、良い状態になるまでには相当な時間もかかりますし、社会復帰するためには、いろいろなトレーニングが必要となってきますので、なるべく軽いうちに治すことが大事です。

 

www.atgp.jp

 

では、今日も前向きに!!

12 うつになる前に(1)

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うつ症状とは

うつ症状とは、いわゆる“抑うつ気分”や意欲や喜びの低下です。

 

これは人によってさまざまな症状となって現れます。

例えば、眠れない、食欲低下、動作が緩慢になる、怒りっぽくなる、全身に痛みが出る、

などなど。

進行すると感情の起伏がなくなり、生きている実感がなく、自己否定的になり、”死にたい”と思うようになり、自殺企図や自殺に至ることもあります。

 

人によって様々なうつ症状ですが、これは誰にだって起こりえるし、軽いうつ症状は誰でも経験していることと思います。

 

ではそのうつ症状にスイッチが入り、加速度的に悪化してしまうのはなぜでしょう?

 

精神症状が起こるメカニズムはこうです。

 

人の脳の神経は、シナプスという情報伝達構造(情報を出す側と受け取る側)から成り立っています。そこにはいくつかの神経伝達物質が存在します。

 

情報を出す側からは、セロトニンノルアドレナリンドパミン(総称してモノアミン)が放出されます。

情報を受け取る側にはモノアミンを受け取るそれぞれの受容体があります。

セロトニンは心を落ち着かせ(抑制型)、ノルアドレナリンドパミンは活動性を高めて楽しみを感じさせる(興奮型)とされています。

 

www.terumozaidan.or.jp

 

このモノアミンンが減ることで、うつ病がひき起こされると考えられています。

 

ではなぜこのモノアミンが減少するのでしょう。

 

うつ病とストレス

原因はストレスと言われていますが、ストレスなんて、誰にもありますよね。

ストレスに強い人、弱い人遺伝的要因がいること、周りに助けてくれる人がいるかどうか環境要因、また、予期せぬ大きなストレス離婚・倒産・死別・解雇かどうかによっても違ってくるでしょう。

 

うつ病は誰にでも起こりうる病気です。ですから、正しい知識を持てば、予防できる病気なのです。

 

ストレスとうまく付き合う

人間の脳は、ストレスに対し準備ができていないと、大きいストレスが来た時に反応が間に合わないことがあります。

 

ストレスに対する準備とは?

 

まずは経験による準備です。

学生時代に、友達・先生・先輩や後輩という人間関係の中で、理不尽なことに対応するトレーニングを積むことです。

これはしかしながら一方で、忍耐力や精神力が鍛えられすぎて、ストレスを一人で抱え込んでしまうことにもなりかねません。

 

経験さえ積めばうつ病にならないとは言えないのです。

では、どう付き合えばうつ病にならないのでしょうか?

 

ストレスは人間社会には必ずあるものですし、立ち向かわなければならないことだとも思います。人間が地球上に誕生して以来、ずっとストレスに立ち向かう術を持っていたはずです。

特に日本人はそれができていた民族だったはずです。

 

社会があまりにも早く移り変わり、生活環境も昔とはずいぶん変わってきていますし、私たちのストレスの質も変わってきているのかもしれません。

上手にストレスを交す術を持つことが大事ではないかと思います。

 

忍者の投げる手裏剣をまともの受けたのではダメージがありすぎます。うまくかわしていくことが大事なのです。

 

いわゆる処世術を身につけることです。つまり、人生を生き抜くトレーニンです。

 

昔は大人たちを見ながら、または教えてもらいながら、そして何よりもいろいろな経験をしながら自然に身につけて行ったと思うのですが、現代は子どもに対して過保護(子供が苦しむ前に手を貸してしまう)であったり、人間関係が希薄(他人を傷つけないように付き合う)であるがゆえに、コミュニケーションがうまく取れない人が多くなってきたように思います。

人間はある程度の負荷をかけないと心も身体も脆弱になってしまいます。

 

ちょうど花粉症の時期ですので、たとえてみましょう。

花粉症の治療に減感作法があります。これは身体の中に少しずつ花粉を入れていく方法です。少しずつ入れることで、身体が花粉を異物と受け取らなくなるため、花粉症を発症しなくなるというわけです。

 

少しずつストレスを感じて行けば、それに対するトレーニングを積むことができます。

そうすれば手裏剣を投げられても対処する方法を知っているので、大きな傷を負わなくなるのです。

 

これはうつ病の治療法のひとつの認知療法も同じです。

前にもお話した通り、ストレスに対する自分の受け止め方、対処方法を自分で見つける治療法です。

人間にはもともと対処できる力が備わっていると思うので、忘れてしまった本来の対処法を思い出したり、新たな対処法を見つけ、トレーニングしていくことでうつ病を治していこうとする方法です。

 

では、今日も前向きに!!

11 科学の進歩とは?

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よりよい暮らしのために

私が子供だった頃、大人たちは輝いていた!という話をしましたが、大人たちには、私たち子どもたちの未来のよりよい暮らしのためにという目的がありました。

 

あの頃では考えられなかったインターネットや携帯電話を、今では当たり前のように使っているし、なくなったら生活できなくなる!というところまで、人類は文明を進歩させてきました。

 

文明はよりよい暮らしのために進歩してきたことは誰も否定できないでしょう。

 

では、私たちは以前と比較してより幸せになりましたか?

 

答えはNOです。

 

インターネットや携帯のなかったあの頃、家族みんなで食事をし、会話が絶えなかった。

街の人々は生き生きと働き、みんなキラキラしていた。

今よりずっと文明は進んでいなかったけど、とても幸せだった!!

 

よりよい生活のためにしてきたことが、なぜこんな状態になってしまったのでしょうか?

 

現代は精神的貧困としか言えない状況です。

文明の進歩によって人々の不平不満は解消されましたか?

文明は不平不満や欲望があるから進化し続けているのだと思いますが、人間の不平不満や欲望はとどまることを知らず、心は焦るばかりで、安らぎどころか、不安な日々を過ごしているのではないでしょうか?

 

 文明の進化

人類は不平不満や欲望が常にある生き物です。

昔から不安や恐怖から逃れるために、心の安らぎを求めていろいろなことをしてきました。

例えば、日照りが続けば、雨ごい(雨は神からの贈り物なので、雨の神様に祈り続ける)をしたり、豊作を願って天照大神にお供えしたり、などなど。

 

ところが、文明が進化してくると、雨雲レーダーを見れば、いつどのくらい雨が降るのかがわかるし、豊作にするために品種改良を繰り返し試みたり、肥料改良することができるようになりました。

そしてついには原子爆弾を作り、日本がその被害国となり、原子力発電所は、東北大震災で大きな恐怖を私たちに与えました。

 

文明は先の見えないままどんどん進化していいのでしょうか?

その先には私たちのよりよい生活や心の安らぎはあるのでしょうか?

誰がこの方向づけをしてくれるのでしょうか?

 

文明の進化と人類の幸せは、今や別次元のことになってしまいました。

文明が進めば進むほど、人類の幸せは遠のいて行くようです。

 

心の安らぎ

 昔は神様、仏様が心の安らぎをもたらしてくれて、人々は一心不乱にすがりついたのですが、

文明が進化した今となっては、だいたいのことが説明できるようになり、病気でさえ、治療が充実して、神仏にすがりつかなくても治る時代になってきました。

 

なのに、なぜ精神的貧困の時代になったのでしょうか?

みんななぜか不安で焦っているように見えます。

精神的に不安定な人が増え、薬を服用している人が増えている現実があります。

 

人間の欲望はとどまるところを知らないのです。

そして欲望を満たしても、満たしても、思い通りにならないで苦しむのです。

だから、その苦しみを解消したいのですが、それは自分の外側にあるものでは解消されないことを知るのです。

結局、心の安らぎは、なにかや誰かに頼るのではなく、自分の中にあるのです。

 

お釈迦さまは「自己の依り所は自己のみなり」と言っています。

 

前々回のブログで、うつ病の治療のひとつに認知療法があることをお伝えしましたが、

それは自分で自分の認知のゆがみを理解することから始まります。

 

それと同じです。

 

なぜ自分が不安なのか、なぜ焦りを感じるのか?

をもっと深く考えることです。

皆さんは自分【自己】をどこまで知っていますか?

私は自分を信じられません。というのは、どんな状況でも同じ行動がとれるかどうかわからないからです。

もし今、無一文になったら、他人のものを盗むかもしれません。

 

自己を知ることは本当に大変なことです。でも、自己を救うのも自己だけなのです。

 

「自己の依り所は自己のみなり」と説いたお釈迦さまから始まった仏教も、いつしか姿を変えてしまいました。

人類が本当の幸せを求めない限り、宗教もまた衰退していくのかもしれません。

 

今だからこそ

皆さんは周りの人の言動や行動に左右されていませんか?

もし左右されているなら、何事にも動じない安定した精神を持つために、自己をしっかり見つめなおして、自己を知る努力をしてください。自分の本当の幸せを求めてください。

  

では、今日も前向きに!!

10 東京というところ(1)

 

 

 

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東京オリンピック

前回のブログで、うつ病の話をしましたが、なぜこんなに生きづらい世の中になってしまったのでしょうか?

 

私は小学5年生の時に東京オリンピックを経験しました。

東京のど真ん中で生まれ、東京育ちの私は小学校でオリンピック音頭を踊りました。

国立競技場にも行かせてもらいました。

 

その当時(昭和39年)の東京は右肩上がりの急成長中でしたので、誰もが今まで見たこともないような国々の人に会える、と期待に胸膨らませたことでした。

アベベが裸足でマラソンに優勝したことは大きな衝撃でした。

 

www.ssf.or.jp

 

都電の上に高速道路ができて、街は一気に変わりました。

 

その頃の小学生の遊びは、鬼ごっこや石・缶けり、縄跳びゴム跳び、メンコやベーごま(アメリカのこまの意味?)。

東京にはすでに原っぱがあまりなかったので、わくわくするのは、空き家の中の探検くらいで、草野球もできなければ、思いっきり走る回る場所もありませんでした。

 

まだ小さな商店がたくさんあり、お店の人との会話が生活の一部になっていて、どこの店主も私たち子どもを自分の子どものように可愛がってくれました。

子供がおつかいの手伝いをしていると、必ず商品をひとつ多めに入れてくれ、

 

私 「わるいから、いいです。」

店主 「子供が遠慮なんかしちゃいけないよ。子どもは子どもらしく無邪気にね!」

 

と優しいまなざしで子供を育ててくれました。

 

その頃は大人が生き生きとしていた印象があります。

もちろん生きづらさを感じていた人がいなかったとは思いませんが、高度成長期でみんなが同じ方向を目指していたように思います。

労働条件は悪く、朝早くから夜遅くまで、みんなが良く働いていましたが、誰も文句を言う人はなく、キラキラ輝いていたように思います。

子どもたちに幸せな未来を作るために。

 

旅行に行くなんて贅沢な!という共通意識があり、子どもたちも毎日忙しい両親に連れて行ってもらえるなんて思ってもいませんでした。

小学校の先生が子どもたちのために毎年スキーに連れて行ってくださったこと、近所の方の従業員の慰労旅行に連れて行ってもらったこと、いろんな家庭で食事をご馳走になった事(みんな街の子どもたちは自分の子どもと同じという考え)、今懐かしく思い出されます。

子どものころから世の中にはいろいろな家庭があり、いろいろな考え方があるということを身をもって経験できました。

 

そうそう、家庭の主婦は例外なく白い割烹着を着ていて、割烹着を着たまま、買い物かごを手に下げていました。

 

twicolle-plus.com

 

今でいうエコバックです。八百屋さんも魚屋さんも天井からゴムでつりさげたかごの中にお金が入っていて、それを上から伸ばしてお金の出し入れをしていました。

豆腐屋さんには必ず小さなボールかお鍋を持って行き、店主さんが腕まくりをした手を冷たい水の中に入れて手のひらで豆腐を切って1丁入れると、豆腐が乾燥しないように白い紙を上に乗せてくれました。

魚屋さんは薄い竹の皮か木製の薄い紙のようなものをくるっと回して袋状になるようにして魚を入れ、新聞紙で包んで渡してくれました。

肉屋さんはこの紙のようなものに肉を平に入れて、両側から包み、紙でできた紐で結んで肉の包みを下で回転させて結んでくれました。

 

私にとっておつかいはとても興味をそそることでした。

そこで交わす店主とのやり取りも楽しい時間でした。

どこの店主もそれぞれの家庭の人数や顔や特徴を知っていました。

 

ところで、 この時代の平均寿命はいくつだったか知っていますか?

男性:68歳(2020年の平均寿命は81歳)

女性:73歳(2020年の平均寿命は87歳)なのです。

この頃の高齢者はあまり外出はしませんでした。

今では、信じられないことですようね。

ですから若者が多く、街にも活気があった気がします。

 

人工の街 東京

東京オリンピック以降、社会が成長すると共に、小さなお店はスーパーにとって代わるようになりました。

可愛がってくれた店主たちは時代の流れとともに自分のビルの最上階に住むようになり、顔をあわせることもなくなりました。

人間同志の血の通った社会(自然)というものとは程遠い、人工の街の始まりです。

その後東京はどんどん変わっていき、もはや私の生まれた街は全く違った街になってしまいました。

 

移り変わる東京を見ながら、私はどう感じていたか?

みるみるうちに知らない誰かが街を作り変えていき、自分は取り残されていく感じがしました。

以前から東京にいたものたちが、ついて行けなくなったのです。服装もどんどん変わり、気が付けば、私たちのほうが、野暮ったい服を着ていました。

 

現在IT化が進み、私たち高齢者がついていけない状態と同じだったかもしれません。

 

私は自分の街が誰かに奪われてしまった感じがしています。

 

私たちが子どものころは、大人がモデルで、そこには共通のモラル(伝統や慣習)がありました。

大人たちは真剣に子どもたちにモラル(小学校に道徳の時間がありました)を教えてくれました。

街にはおせっかいな人がたくさんいて、みんなで私たちを育ててくれました。

 

この40年くらいの短い時間の急激な変化で、私たちは共通のモラルを失い、多様性だけを身につけてしまったのではないでしょうか。

ある時、通勤電車の中で若い女性がお化粧をしていたり、朝食を食べている光景を目の当たりにして「なんでもあり!!!という社会になってしまったのか・・・」と愕然とした事を思い出します。

 

この多様性とは、ある一定のモラルの上の多様性でなければならなかったはずなのに。

 

なぜ生きづらいのか?

人間には変化に順応しようとする能力(大小にかかわらず)が備わっています。

順応しようとする間には、悩んだり、苦しむのですが、その苦しみを分かち合える友達や、相談できる信頼できる人、心配してくれるおせっかいな人がいなかったりでコミュニケーションの機会を失い、自分をわかってもらうすべを失い、孤立していき、生きづらくなってしまうのではないでしょうか。

 

p-dress.jp

 

東京は、他人のことを考える余裕のない人々であふれ、とても生きづらいところになってしまいました。

東京は自然を排除し、どんどん人工的になっていきます。

養老猛司さんが言うように、子どもは自然の象徴です。

 

www.ideesmontessori.com

 

人工の街では少子化は当然の結果です。

 

人間にとって、自然の排除は人間性の喪失であり、精神を病むのは自然なのかもしれません。

 

一寸先はやみだけど、光を探して、過度の期待をせず、歩き続けましょう。

どうかコロナ鬱にならないように!!

  

では今日も1日前向きに行きましょう!!