67 薬剤師あるある(9)
糖尿病
コロナ禍になって、丸2年以上が経っていますが、おうち時間の増加とともに、糖尿病や痛風、脳卒中(脳梗塞と脳内出血)が激増しています。
このコロナ禍では、病院に行きたくない、検査をすぐにしてもらえないなどの心配事が多くなり、身体の異変を感じつつも受診しない方も多くいらっしゃるように思います。
それに引き換え、TV番組は相変わらず食べ物関係の番組が多く、私など高齢者にとっては全く見たくない番組もたくさんあります。
今は外出することができないのと、番組制作者側の費用も抑えられるのでしょうか、食べ物に関心が集中し、食べ物摂取過剰になりがちです。
約10年くらい前より、駅前の商店街に食べ物屋さんが増えたな~と何となく感じてはいたものの、できてはすぐ消える店がどんどん増えていることが顕著になったのは、コロナ禍になる前の2年くらい前からでした。
私の住んでいる最寄り駅周辺では小さな商店が壊され、大きな一軒家が壊されて、建ち始めた当初はマンションだったのが、今ではワンルームマンションの数が急激に増え、町はすっかり若者の街に姿を変えました。
それと並行して、若者好みの居酒屋や食べ物屋が特に増えたように思います。
私の薬局の近くも大きな一軒家(住宅地なので、一軒が大きい)が壊されて、マンションがどんどん増えて、街の人口が急激に増加しました。
それに連れて来局する患者さんの平均年齢が低下し、サラリーマンや若いサラリーマン家族がどんどん増えているように思います。
またその方々は、家族構成が変わる(増⇔減)と住居を変える傾向があり、知らない間に引っ越していた、なんてことがしょっちゅうあります。
マンションから一軒家へ、一軒家からマンションへ・・・
都内では大きな一軒家に住むことは許されないようです。
昔からいらしたなじみの患者さんは高齢になるにつれて、連れ合いを亡くして一人住まいになったり、子供が独立して家を建てたり、マンションを購入しているためなのか、同居はできないなどの理由により、高齢者一人暮らしの一軒家がたくさんあります。
一軒家暮らしは高齢者にとって維持していくのに困難な問題が多く、自分ひとりでは何もできない状態になってしまうのです。
病気になって初めて子供や周りの方が気付くことが多いです。
そうなると、どうするかと言えば、高齢者を施設なり、コンパクトで安全なバリアフリーの住みやすいマンション(高齢者専用賃貸住宅・サービス付き高齢者賃貸住宅)に移り住むようになります。
昔なら、子供が親を引き取って面倒を見ていたのですが、現代では困難な状況(子ども夫婦が共働きや高齢者自信がそれを望まない)です。
結局、固定資産税の高い大きな一軒家は空き家となり、売ることになるのでしょう。
そしてそれは何個かの住宅やマンションへと姿を変えていきます。
1人しか住んでいなかった場所に何十人、何百人が住むようになり住民数が増加する仕組みです。
というわけで、若い人々が薬局に多く来局するようになりました。
この頃特に目立つのが、糖尿病です。
日本人などのアジア人種は、欧米人に比べて体質的にインスリン分泌の能力が低く、また、腸のまわりに付着して、糖尿病発症リスクを高める内臓脂肪や肝臓、筋肉中にたまる異所性脂肪と呼ばれる危険な脂肪の蓄積が進みやすい体質を持つと言われています。
今や国民病とまで言われているこの糖尿病は、食の欧米化によってもたらされたと言われています。
日本人は農耕民族で、質素な食事をしていたため、インスリン分泌能がもともと弱いと言われていますが、昔の人は白米を中心に食べていたと思われますので、血糖値は今と同じに上昇していたと思われます。
ところが、現代のようにスイッチ1つでなんでもできるわけではなく、毎日相当な重労働を強いられていました。
血糖値が上昇しても、インスリン分泌能が弱くても、身体を使う運動が十分であれば、糖尿病にはなりにくいはずです。
インスリン抵抗性 インスリンが分泌されていても筋肉や肝臓でうまく使われない
肥満は栄養過多な食事により内臓脂肪がたまり、アディポネクチンという動脈硬化を防止する物質が作れなくなり、インスリン抵抗性を強めてしまうのです。
肥満が続くと、膵臓からのインスリン分泌能を弱めてしまうのです。
糖尿病の血液検査には空腹時血糖とHbA1c(ヘモグロビン エーワンシー)があります。
空腹時の血糖値は110mg/dL以上で高値(100~109は正常高値)となります。
ヘモグロビンは血液中の赤血球を構成するタンパク質で、肺で酸素を受け取り全身に酸素を運搬して行き渡らせる働きを担っています。
「ヘモ(ヘム)」は鉄原子を中央に配した構造で、この鉄原子に酸素が結合します。
またヘムが赤い色素であるために血液は赤くなります。
「グロビン」はタンパク質です。
ヘモグロビンは血中の糖とも結びつきやすく、とくにブドウ糖と結びついたものをHbA1cと呼びます。
この値は過去1~2か月の血糖の状態を反映する値とされています。
HbA1cの正常値は4.6〜6.2%ですが、特定保健指導の基準値は5.6%未満です。
現代人は栄養過多な食事に加えて、毎日の生活で身体を使うことがあまりなくなっています。身体を使わないので、食事摂取量を減らせばいいのではないか?と思われがちですが、人間には必要な量の栄養素があります。
現代人は野菜と脂質はたくさん摂取しているものの、たんぱく質と鉄分が不足していると言われています。
タンパク質と言うと、みなさんはすぐに筋肉ムキムキの人達が飲んでいる、プロテインの粉を思い出すかもしれませんが、よほどのたんぱく質不足でない限り、食事で十分に摂取することができます。
卵や肉(どの肉でもよいですが、パン粉をたっぷりつけて油で揚げるものは避ける)、豆腐や納豆など、日本には数々のタンパク質製品があります。
昔は卵をあまり食べすぎると、コレステロールの値が上昇すると言われて、1日1個~2個と言われていましたが、2013年に米国心臓病学会が「コレステロールの摂取制限を設けない」としました。
その2年後、2015年には、米農務省と保健福祉省も、コレステロールの摂取制限をガイドラインから削除しました。
日本でも厚生労働省の「日本人の食事摂取基準(2015年版)」で、コレステロールの摂取基準が撤廃されました。
そのいずれの理由も「コレステロール摂取の上限値を算定するのに、十分な科学的根拠が得られなかった」ためでした。
ですから卵は制限なく食べられる良質なタンパク質と言えるでしょう。
また、意外と知られていない鉄分不足ですが、次の話題にすることにします。
では今日も1日前向きに!!
66 薬剤師あるある(8)
アポトーシス(apoptosis)
Official髭男dismの新曲「アポトーシス」を初めて聴いた時は、音楽の複雑さに耳を奪われ、歌詞があまり頭に入りませんでしたが、よくよく聴いてみると、「死」について歌っていることが分かりました。
アポトーシスとは?
個体の組織の成長の過程で、プログラム化された細胞死のことを言います。
自然現象なので、私たちは常にそれを見ているのに、気づかないのではないでしょうか?
ちなみに事故による細胞死のことを壊死(ネクローシス)と言います。
アポトーシスの語源は、ギリシャ語の apo (離れて) ptosis(下降)に由来しているそうです。
自然に枯れて落ちる落ち葉を想像してみてください。
アポトーシスの過程は遺伝子によって制御されていて、生体内の細胞環境のホメオスタシス(恒常性)を維持する重要なメカニズムなのです。
私たちの身体には、体外環境がどんなに変化しても、体内環境を一定に維持しようとする仕組み(ホメオスタシス)がもともと備わっています。
細胞は常にホメオスタシスとアポトーシスを繰り返しながら全体を維持しているのです。
約60兆個の細胞からできている私たち人間は、やはりホメオスタシスとアポトーシスを繰り返しながら生きていると言えますね。
例えば皮膚は約28日周期で入れ替わると言われています。
ところが、脳の神経細胞は、記憶などの機能とつながっているために古くなったからと言って簡単に置き換えることができません。
何十年も生き続けて、死んだらほとんど再生されないそうです。
認知症とは、脳の神経細胞が破壊されて、減少するのですが、決して再生することはないと言われています。
東京理科大学薬学部教授の田沼靖一さんによると、アポトーシスの特徴は「きれいに死ぬこと」だという。
細胞の中身が漏れないのです。
だから炎症が起きず、痛みもありません。
この「きれいに死ぬこと」は、1972年オーストラリアのジョン・カーらが顕微鏡で細胞を観察していて偶然見つけたそうです。
「細胞はもしかして自発的に死んでいるのではないか。これはDNAが指令を出しているのではないか」と考えました。
そしてこれをアポトーシス(apoptosis)と名付けました。
細胞の自発的な死=アポトーシスを観察すると、細胞が死んでいくとき、自らの生命の素であるDNAをきちんと切断していることがわかりました。
とすると、アポトーシスの本質は「DNAを切断して、消去する」ということになります。
すごい!!シュレッダーにかけているのですね。
がんはまさにこのアポトーシスを狂わせてきれいに死ぬどころか、どんどん細胞を増やしてしまう病気です。
またアルツハイマーは反対にものすごいスピードで細胞を死に追いやる病気です。
ですから本来のアポトーシスを思い出させたり、うまく制御したりする薬が必要になります。
人間の細胞分裂は50回程度が限界とされ、これを「ヘイフリック限界」と称します。
分裂ができなくなった細胞はやがて死(アポトーシス)を迎え、これを「細胞老化」と称します。
老化が早い、遅いには個人差があり、まだ良くわかっていないのですが、細胞老化で細胞数が減り、臓器や組織を維持できなくなって人間という個体の死(老衰)に至ると考えられています。
ですから、老衰はとてもきれいな死なのです。
このように人間の死をアポトーシスというメカニズムを通してみると、人間には不老不死はありえないだろうと思われてしようがないのです。
そしてなぜこのようなメカニズムがもともと人間に備わっているのか?を考える時、死があるから生があり、不完全であるからこそ、何とかして生き残ろう、種を存続させようとする力を感じざるを得ません。
以前ブログ14で、人間はなぜ不老不死ではいけないのか?について書きました。
死があるから、今を懸命に生きることができると書きました。
死は必然、生は偶然なのです。
それにしてもOfficial髭男dismの楽曲はいつも心奪われます。
では今日も1日前向きに!!
65 Hack The World(みんなで世界を能動的に書き換えよう)
1人の強烈なリーダーだけでは世界は変わらない
直面しているウィズコロナ・アフターコロナの時代は先がわからない時代。
これからは解決策よりも、いかに「いい問い」を投げられるか?
「みんなが解きたいと思う問い」を立てられるか?が重要になるでしょう。
SDGsや世界を変えるのはたやすいことではないが、1人1人が周りの人2~3人を幸せにすることをやれば、何万人もの日本人を笑顔にすることができると思うのです。
「Hack The World」というプロジェクトが始まろうとしています。
これは、Z世代を中心とした若者が考えたプロジェクトで、みんなでいろいろなプロジェクトを提案しながら、世界を書き換えていこうとする動きに新しい考え方を感じました。
そして、答えが出せないからこそ、一人一人の小さな理想を実現することから、みんなで世界をHackするというプロジェクトに明るい未来を見たような気がしました。
Z世代とは?
日本では主に「Y世代」の後、つまり、1990年後半頃から2012年頃に生まれた世代を指し、デジタルネイティブであり、SNSネイティブ、さらにスマホネイティブでもあるといった特徴を持ちます。
このプロジェクトが生まれたきっかけは、日本財団「18歳意識調査」で出た結果です。
「自分で国や社会を変えられると思う」と考える日本の若者は18.3%。
米国65.7%、中国65.6%、インド83.4%、インドネシア68.2%と比較すると明らかに低かったからだそうです。
「尖ったビジョンを持つ若者と、そうでない若者は大きく違うのか、というと、必ずしもそうではない。『自分には何かできるかもしれない』と思うためのきっかけをつくれれば、思いも行動も変わる」と考えたそうです。
私は、この「18歳意識調査」の結果にショックを受けました。
日本の高校生が、自分では何も変えられないと思ってしまうような教育をされてきた証ですね。
日本の教育制度にはとても不満がありますが、このように高校生を元気にしてくれるプロジェクトはとても未来を感じますし、これからはデジタル化が進む時代、生まれた時からデジタルに慣れ親しんでいる若者はどんどん活躍してほしいと思います。
次世代の医療者1000人の決意や願いを集めて交換日記形式でリレーする「生きるための交換日記」プロジェクトや、高校生が修学旅行をハックして最高の体験をつくりだす「オンライン修学旅行」プロジェクト、自分たちから高校生に会いに行く「にゃんます大作戦」プロジェクトなど、ここから生まれた若者主導の新しいプロジェクトがはじまります。
ヒューマン・オートノミー(Human Autonomy)
産業革命以降、私たちの社会は、分業を進めてきました。水・電気・食事をはじめとした、生活インフラを購入することで生活しています。
その機能が集まった場所が都市です。
しかし、それでは災害やコロナのような大きな出来事があるとサービスが止まってしまう。社会全体が危機に晒されます。
利便性はあるものの、非常に脆弱な社会構造になっているのです。
逆に考えると、生活インフラと医療、教育、仕事があれば、私たちはどこでも暮らしていくことができます。それらを私たちの手に取り戻して、自由で人間的な暮らしを実現するのが、ヒューマン・オートノミーです。
オートノミーは自律。
自己の行動を外部より拘束されず,みずから課した原理によって決定すること。主として人間個人の心理,神経についていわれる。
- 快適で、安くて、どこにでもすぐに建つ家「インスタントハウス」
わずか数時間の工期で建ち上がる、断熱素材を硬質化したテントのような建物のことで、難民キャンプへの提供や、プライバシーとウイルスに配慮した避難所など、多くの場面で活用できる技術です。今後はさらに、水や電気がなくて暮らせる環境作りに挑戦していきたいです。
- アプリ上で鍵にアクセスすることで、初めていく所でも解錠できる「スマートロック」
ワークスペースを無人で貸し出したり、オフィスに行く、家にいる、と制約されず、選択肢を増やすことで自分の働く場を選べます。
鍵の施錠を遠隔管理できるコネクティッド・ロック「TiNK」は、鍵の開閉を記録でき、防犯だけでなく、見守りツールとしても使用できる。その仕組みを活用し、マンションやホテルなどの空室利活用サービスを開発。ワークスペースの開始だしを管理人不要で無人運営できるシステムです。
- 服を脱がせなくても排泄がわかるベッド用のセンサーシート
排泄センサーシートで要介護者の排泄を把握するだけでなく、生活パターンも把握することで、いつ介護者が介入するかを最適化しようとしています。技術を生かして誰でも明日から介護ができる社会をつくりたいです。
- IoTやAIを下支えとして、みんなで楽しく野菜を育てるアグリテイメント
家庭のベランダなどに設置できるIoT+AIプランターやオフィスやマンションの屋上などにIoT+AIのフィールド(畑)で、ユーザーに水やりや収穫の時期を教えてくれるハードウェアを開発しています。現代は物流網が発達していて、安く、早く、世界中から物が届くようになりましたが、シャットダウンされると届かない。私たちが生きていくために必要なものは自分たちでつくる力を持たなければならないと思います。
- 小学生向けに、教科書の内容を基にしたゲームと通信教育サービス
現代には、家庭環境によって学力に差が出るという課題があります。その解決策の一つがゲームです。学問をキャラクターで親しみ、同じテーマが好きな友達と「ポケモン」を交換し合う感覚で出会う。そして、最終的には、社会で未解決の問題にチャレンジしていくような姿を私たちは目指しています。大人がリモートできたとしても、次に問題になるのは教育。オンラインで授業自体はできても、異質な人と出会う経験は減ります。そこもセットで考えたいです。
私たち世代(高齢者)は何世代になるのでしょうか?
アルファベットによる世代の分類はX世代が始まりとされており、Z世代はその系譜を踏んでいる。
Generation Xをという言葉は、写真家のロバート・キャパ(Robert Capa)の造語に由来する。
1950年代に、第二次世界大戦後に成長した若者らをテーマにしたフォトエッセイに「Generation X」というタイトルを付けたことが始まりとされている。
“X”というアルファベットがつけられた理由であるが、SFテレビドラマの『X-ファイル』を想起すればわかりやすいが、“X”には未知という意味が込められているのですが、Z世代の次はα(アルファ)世代、現在7~8歳、につながるようです。
どちらにしても私たちTraditional世代はもうお払い箱なのでしょうか?
現代のような分業が始まるころ、私は危機感を感じました。
全体が見えない仕事は、将来何かを失う気がしていたのです。
私は薬剤師ですから、特に医療にその危機感がありました。
技術が進んで多くの命が救われたことはとても良かったと思っていますが、~科が多くなり、患者を一人の人間として診てもらえなくなっているのではないかと思います。
特に各科から薬が処方されていて、横のつながりが薄く、患者さん自身が不安になっている現実があります。
このごろになって総合診療科なるものが出てきたものの、その勉強が不足しているように思われます。それは大学時代に基礎を学ぶ必要があると思います。
そうすれば、専門に就いたとしても全体を見る必要を感じるはずです。縦割りではなく横のつながりを大切にしてほしい。
今回はあまりにも分業が進んだ社会のひずみによる問題点を上げましたが、災害やコロナのような大きな出来事があって初めて気が付いたのです。
元に戻ることは絶対してはならないと思います。
どんな事態になっても生きていけるためにどうするか?を考えるきっかけになったはずです。
便利な社会と生き延びることのできる社会は、明らかに違います。
若い人達に期待するとともに、私たち世代も協力できると信じています。
Z世代以降の若者が知らないこと、人間にとって大事なことをたくさん知っている世代なんですから!!
では、今日も1日前向きに!!
64 適者生存
種の起源
チャールズ・ダーウィンが「種の起源」の中で、
「強い者、賢い者が生き残るのではない。変化できる者が生き残るのだ」
と言っています。
また、ハーバート・スペンサー(イギリスの哲学者)の造語で、適者生存又は再適者生存
という言葉の方がわかりやすいと言われています。
「《survival of the fittest》生存競争で環境に最も適したものだけが生き残って子孫を残しうる」
「いかなる環境にあっても、その環境に適応していくこと」が、人間の「進化」であり、そして、いつも「他者と、自分以外のすべてのものと、支えあうこと」こそ、自己が進化して、生き残ることである、といっているのではないでしょうか。
私は長い間生きてきましたが、最近の約30年間の身の周りの環境変化の速さは、その前とは比べ物にならないと思っています。
環境に合わせることが得意で、好んでする私ですが、この30年の変化にはずいぶん苦労しています。
パーソナルコンピューター(PC)のApple IIが1978年発売され、携帯電話がこの世に出たのが1987年です。
PCを自分で使い始めたのが1980年くらいで、携帯電話はメールが使えるようになった1997年くらいからです。こんなに便利なものがあるのか?と驚きでした。
初めは使い方が良くわからずに取扱説明書やお店で教えてもらったりしましたが、段々と慣れてきたと思うと、次々に便利なものが登場してきました。
子どもたちは生まれた時からこれらがあったのですから、説明しないでもすいすい使いこなしてしまいます。
マニュアルとオートマチックという比較がありますが、この子どもたちはマニュアルを知らずに、最初からオートマチックで本当にいいの?と心配した時期もありましたが、今ではそんなことを心配する暇もないほど、どんどん進化しています。
PCも携帯もない生活だってできるし、その方が楽しい!!という人もいますが、やはり社会は、これらがあるのを基本として変化していくのだと思います。
今高齢者がいろいろな手続きに困っているのも、どんどんこれらを基本として社会が変わってきているからです。
㊽のオードリー・タン氏の話の中に、高齢者が使えないAIではダメだ!と言っていますが、
高齢者にとってAIの概念がないので、これはかなり困難なのではないかと思います。
ですが、実現しなくてはならない課題ですね。
スマホを持たない生活は、考えられなくなってくるのだと思います。
これらが生まれた時から存在していた年代の人たちには、高齢者がなぜわからないのだろう?と疑問に思う人もいるのではないでしょうか。
高齢者の代弁をさせてもらうと、高齢者は、紙が好きだし、窓口や電話が好きです。
スマホのあんなに小さい画面で、良く文章が読めるものだと思っています。
相手の顔も知らないで、信用しろ!と言うのが無理なんです。
私は若い人達から教えてもらうことで、学んできましたし、たくさん失敗もしてきましたが、
この途中で、ダーウィンやスペンサーの言葉を思い出していました。
環境の変化について行こう!適応する努力をしよう!と
そこにこのコロナ禍です。
おうち時間が多くなり、PCやスマホを使う機会もグンと多くなりました。
買い物に出るのは最小限の時間で。
ほとんどのものはPCで買うようにしています。
昔は配達してもらうと日時や時間を決めなくてはならず面倒でしたが、今は家にいる時間が増えたので、楽になりました。
また置き配なるものが登場し、益々便利になっています。
こんなに便利になって大丈夫?
とまたマニュアル好きの高齢者は、つい考えてしまうのです。
SDGsな社会を目指して、料理は自分で作りましょう!!
と言いたいところですが、飲食店の方々のことを考えると、複雑です。
まだまだ環境の変化に適応するまでには至っていませんが、もともと機械や電気が大好きだったので、何とかここまで来ましたが、今後はさらに変化が加速すると思われますので、認知症になんてなってはいられませんね!!
では今日も1日前向きに!!
63 里親制度を知る
里親制度の種類
里親とは、さまざまな事情により自分の家族と暮らすことができない子供を、一時的または継続的に預かり、育てる人のことです。
養育里親:養育里親は原則として0歳~18歳まで(進学しなかった場合は中学卒業まで)の要保護児童を一定期間養育する里親です。必要な場合には、20歳未満まで措置延長できることとされています。
※地域によって呼び方や仕組みが異なります。東京都では「養育家庭」と呼ぶそうです。
(専門里親:虐待を受けた子ども、非行の問題を有する子ども、知的・身体・精神に障がいがある子どもで、専門里親として委託することが適当だと認められる時に養育します。別途要件や研修があります。)
特別養子縁組里親:原則15歳未満の養子となるお子さんの実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、実の子と同じ親子関係を結ぶ制度です。
季節/週末里親:子どもをずっと育てるのは難しいけど、お正月や長期休みの、週末などに数日~1週間程度、子どもを家に迎える里親です。
里親手当 (月額)
1人目 / 8万6000円
2人目以降 / 4万3000円
生活費 (月額)
乳児 / 5万8570円
乳児以外 / 5万800円
医療費も教育費も支給されるから安心!
里親委託で一番必要なのが、子育て経験よりも愛です。
里親委託に必要な知識は研修で身につけることができます。
特別な資格不要・借家でもOK・共働きOK・いつでもサポートしてくれます。
手続きはこのように進みます。
STEP1相談:児童相談所に相談します。 里親制度について詳しく説明してもらう。
STEP2研修・家庭訪問:里親制度や子どもの権利擁護について学び、乳児院などで実習も行います。
STEP3登録:都道府県の審査を経て、里親登録となります。
STEP4子どもとの出会い:子どもの紹介を受けて面会し、外出や数日間の宿泊などで交流します。
GOAL里親委託
日本における要保護児童のうち里親委託児童の占める割合は12%とお世辞にも高い割合とはいえない状況です。
その一方で、諸外国の割合は50%から80%と半数以上が里親委託によるものです。 同様に日本の特別養子縁組の成立割合も諸外国と比較するとあまり高くありません。2021/02/13
なぜ日本は諸外国に比べて少ないのでしょう?
- 制度を知ってもらうための努力が足りない。認知度が低い。
- 親権よりも子ども権利が弱い
- 社会的養育(家庭的養育と施設養育)のもとにある子どもの絶対数が多いためその分解決すべき課題が多数あること、虐待件数が非常に増えていることもあり全国的に見ても社会的養育に関しての取り組みが遅れている
- 「実親の承諾」が得にくい。自分では育てられない、でも子どもを手放すのはイヤといった理由が考えられます。
日本で里親の制度が始まったのは、1948年(昭和23年)10月4日のこと。
それを記念してこの日を「里親の日」とし、10月、11月を「里親月間」と定めて、さまざまなイベントが開かれるようになりました。
その中で注目したいのが、各自治体が開いている養育里親の「体験発表会」です。
この発表会では、実際に里親を経験された方のリアルな話を聞くことができます。
どのような思いで里親になったのか、初めて里子と会ったときの気持ち、家庭に入ってきてからの子どもの成長、感謝されたときの喜びなど。
辛いこと、苦しいこと、それに勝る楽しいこと、嬉しいことなど、里親としての悲喜こもごもを実体験にもとづいて語ってくださいます。
「赤毛のアン」を読んだ方も多いと思いますが、欧米では孤児院から農家や商家が働き手として子どもを引き取ることは普通のことでした。
キリスト教の隣人愛や子どもは神からの預かりものという信仰のもと、子どものいない里親は子どもを労働力として引き取り、相性や条件が揃えば養子にするのが普通でした。
日本も戦前や戦後の一時期、戦災孤児があふれた頃は、里親が多くの行き場のない孤児を救いました。
不幸な事情から児童養護施設に入っている子どもも、皆将来、健全に育って社会の一員として活躍してほしいと思っています。
そのためにも、普通の家庭のように、心身傷ついた子どもは安定して依存欲求が満たされることが必要です。
施設では保育士や相談員を24時間、1ケ月、1年独占することはできないのですから。
私は日ごろから、10歳までの教育が大事だと思っているのですが、それは親の愛情です。
生まれてくる子どもに罪はありません。親の愛情のもとで、安心して生活ができることが健全な人間を作るうえで最も大切だと思っています。
親のほうも子どもによって成長させられます。
一人でも不幸な子どもを作らないために、この里親制度を良く理解し、勇気をもって里親になりましょう。
生みの親を忘れることはできないでしょうが、育ての親との笑ったり、泣いたり、怒ったりした日々は決して消えることのないお互いの歴史です。絆です。
では今日も1日前向きに!!
62 壺に何を入れるか?
壺と岩の話
昨年インターネット上で、結構話題になった文だそうです。
作者不在だそうですが・・・。
ひろゆき氏の「1%の努力」という本を読み、この話を知りましたが、長年生きてきた私にとっても新鮮な素晴らしい人生訓だと思いました。
知っている方も多いと思いますが、まずは読んでみてください。
「さあ、クイズの時間だ!」
大学教授は、そう言って大きな壺を取り出し、教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ石を詰めた。壺が一杯になるまで石を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」
教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」
そう言いながら教授は、教壇の下からバケツ一杯の砂利を取り出した。
そして砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、石と石の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」
学生は答えられない。一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを石と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれで一杯になったのか?」
学生は声を揃えて、「いいや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか?」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う。」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、大きな石を先に入れない限り、それが入る余地はその後二度とないということなんだ。」
君たちの人生にとって”大きな石”とは何だろう、と教授は話し始める。
「それは、仕事であったり、志であったり、自分の夢であったり……」
「ここで言う“大きな石”とは、君たちにとって一番大事なものだ。それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失う事になる。もし君たちが小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしたならば、君達の人生は重要でない何かに満たされたものになるだろう。」
「そして大きな石、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果、それ自体を失うだろう。」
これを読んで、自分が考えていたこともこの話で理解できると感じました。
この話は、生きていく中の優先順位の話です。
ちなみに、ひろゆき氏の大きな岩は「睡眠」だそうです。
私も同感ですが、私は「人を愛する心」が1位です。
どんな人でも愛することができると信じていますので、来るものは拒まず去るものは追わず、Do not refuse those who come。
仕事を選ぶとき、結婚するとき、子供を育てる時、人生にはいろいろなイベントがあります。
その際、自分で決断をしなくてはならないのですが、その時、自分にとって今、何がもっとも大切なのか?を考えることに置き換えてもいいと思います。
あれもこれも、ではなく1つです。
大学に入るとき、今勉強をしっかりすることで一生食べていける職業を持つことが優先順位の1位でした。私の選んだ職業は薬剤師です。
結婚して子供を産みたい!が優先順位1位で、結婚相手に求める条件は1つ、自分が楽しめる人生を一緒に送れる人でした。
決して他人にはお勧めできませんが・・・。
それには男性を見る目が必要ですが、それはそれまでの生活でたくさんの事を経験し、いろいろな人に出会うことで培われました。
子育て中は、子供がどんな大人になってもらいたいか?を考えることが優先順位1位でした。
誰に聞いてもわからない子育てですから、自分がその目標を見失うことがなければいいと思っていました。
あまり細かい目標(いい学校に入ってもらいたい、成績優秀でいてほしい、など)を持ちすぎると、思い通りにならない時に悩んでしまいますからね。
人生ノリで行こう!という考え方もありますが、成功するかどうかは半々です。
それに引き換え、この話は、ある意味100%成功します。
ある意味と言ったのは、たとえ思うようにならなくても(成功しなくても)自分がその時考えて最善の道を選んだわけですから、後悔するはずがありません。
大きな岩を見つけるのは、そう簡単なことではありません。
一端壺の中に入れてしまったら、取り出すことができないものです。
その後の小さな石、砂、水は大きな岩を見つけたことによって必ず見つかるものだと思います。
この話は本当に良い話です。
良く考える、私の好きな内省(自分の心の内を見る:内観)を常にすることです。
そうすれば、自分というものが良くわかってきます。
自分は何が得意で、何が不得意か?
コツコツ努力型なのか、一気にする一発屋?なのか。
アイデアがあふれる出るタイプなのか、誰かのアイデアを膨らませるタイプなのか。
人と会うのが好きなのか、ひとりでいたいのか。
仕事を選択する際にも役に立ちますし、人生あらゆる場面に、自分を知っていることが武器になるかもしれません。それには内省を繰り返しながら、いろいろな経験を積むことです。
内省には経験が大切です。
こうすればこうなる!と頭ではわかっていても、それを行動に移して初めて本当にわかるからです。
行動することは本当に大事です。
勇気を持って、行動してください。
あなたは壺に何を入れますか?
では、今日も一日前向きに!!
61 薬剤師あるある(7)
医原病
コロナ収束の基準を決められない日本社会の「医原病」的症状という記事(金沢大教授 仲正昌樹)を読み、昔、「医原病」の本を読んだことを思い出しました。
医原病とは?
日本国語大辞典によると、自然発生的な病気に対して、医師の過剰治療、医療過誤、または、治療の合併症として生ずる病気。
キノフォルム剤の過剰投与によるスモン病、薬の中毒によって起こる肝障害など。
世界大百科事典によると、本来,医師の言動に対する患者の心理的反応(誤解,自己暗示など)によって起こる疾患をさすが,現在は,広く医療行為が原因となって不可抗力的に発生する傷病のすべてを包括する言葉として使われる。
医療の組織化が進行しつつある今日,医師・患者間の心理的な関係(相互作用)はますます複雑で微妙なものとなってきた。
自覚症状のある人々(患者)は心身の異常を心配し,ときには恐怖感にかられて医師に近づくことが普通である。
ブリタニカ大百科事典によると、医原性疾患ともいう。
この概念を最初に医学に導入した A.ハースト (1922) は,医師の検査,態度,説明などに起因する,患者の自己暗示によって起った病気と定義している。
しかし現代では,こうした医原性神経症にとどまらず,患者に施した医療が不適当であったり,薬剤などの副作用のために起る疾患も含めて考えられている。
抗生物質の長期にわたる大量投与よって引起された菌交代現象はその代表的なもの。
医師や看護師の医療行為・医療過誤という概念から、医療そのものが健康を害する、特に専門家が医療をコントロールすることによって増悪する病という概念にまで広がってきています。
「医原病」という言葉は、1970年代にイヴァン・イリイチ(イリッチ)という哲学者により提唱されました。
学校、交通、医療といった社会的サービスの根幹に、道具的な権力、専門家権力を見て、過剰な効率性を追い求めるがあまり人間の自立、自律を喪失させる現代文明を批判。
それらから離れて地に足を下ろした生き方を模索した哲学者です。
医原病は下記の4つに分けて考えることができるといっています。
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臨床的医原病
これがいわゆる「医原病」で、医療過誤など、医薬品の副作用や手術ミスや検査にともなう過誤等や、社会的集団的に発生する不可逆な健康被害である薬害、治療を受けたが故に生じた患者側のデメリット全てが含まれる。治療の結果、原疾患による後遺症が生じた例はこれに当てはまらない。
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社会的医原病
今日の医療社会学や医療人類学の用語でいう「医療化」(Medicalization)を指し、医療の対象が拡大していくことを指す。かつては自宅で身近に触れ得た死や出産が病院に囲いこまれていき、自然な過程であるはずの老化も医療の対象とされていき、老人にまで降圧剤治療が行われるようになるなど、現代社会においては、資本主義下の医療のキャラナライゼーション、過剰医療をも意味することになる。
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文化的医原病
医療の対象拡大が人々の思考を無意識に支配するようになった結果、自分の身体、自分の健康にも関わらず主体性を失い、人々がその管理に関して無関心・無責任となり、医師に全面的に任せて平気となる=思考停止し怪しまなくなってしまっている状態を指す。医師による「専門家支配」(Professional Dominance)・パターナリズム医療の所産でもあり、端的に言えば、日本で見られる、いわゆる「お任せ医療」状態のことである。
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電子的医原病
近年、電子カルテの普及と伴い、コンピューターをハッキングすることにより、医療検査データなどが匠な方法で改ざんされ、患者の個人データおよび生命に重大な影響をきたすことが懸念されている。
「医原病」近藤 誠著の中に、
医者と医療情報への妄信と過剰な期待が悲劇を生む!!
健診は健康のためにならず、予防接種は障害をもたらす。
医療にかかわると元気な人でも病気になってしまう。権威や厚生省の言葉をうのみにするのは、もうやめよう!
先の金沢大教授 仲正昌樹氏によれば、
現代の日本人の問題なのは、自分は今現在「健康」なのか、この程度の痛みや不安であれば、耐えていけるので、(医者の助言に逆らったとしても)自分でどうにかしよう、それで取り返しのつかないことになったとしても自分の責任だ、などと考える自己決定能力が育っていない、むしろ欠如しつつあることだ。
最も肝心の「私は『健康』かどうか」、「健康維持のためにどの程度の予防をすべきか」といった自己決定がないがしろにされ、専門家に任せるべき、という風潮が社会全体で強まっていることである。
正しい知識を持って、自分で自分の健康に責任を持つ。
なかなかできないことではありますが、医療従事者がもっと正しい知識を一般の人に教えるべきだと思います。
今日も1日前向きに!