50 新型コロナウィルスのパンデミックがもたらしたもの(2)
マルクス・ガブリエル氏(1)
最近「世界で最も注目を浴びる天才哲学者」と名高い、ドイツの哲学界のロックスターと言われるマルクス・ガブリエル氏の説く「倫理が勝つ」が注目を浴びています。
マルクス氏は、ドイツの名門・ボン大学で29歳と史上最年少で教授に就任、2013年発売の著書『なぜ世界は存在しないのか』は、哲学書としては異例の16の国と地域でベストセラーに。
彼の思想は哲学会に衝撃を与えました。
最近の著書に『暗黒の時代における倫理的進歩』(2021年2月16日現在 未翻訳)があります。
そこでは、「危機は倫理的進歩をもたらす」といっています。
人類には自分達の置かれた状況を改善する多大な可能性があります。
危機に直面して、人類は倫理的に行動してきた、と述べています。
『倫理』の定義とは何でしょう?
1人ひとりの行動には、それぞれ違う理由があります。
人と会ったり、旅行に行ったり、いろいろな職業を持ったり・・・その行動は倫理とは関係のないものです。
何かをする倫理的な理由とは、人間であるがゆえに存在する理由のことです。
人を殺すことがなぜいけないのか?
それは人間として、他の人間にしてはいけないことだからです。
相手が誰であってもです。
これが倫理です。
人類がウィルスから得た教訓
命とりになるウィルスを拡散してはいけないのは、相手が人間だからです。
我々のウィルスに対する反応は、ウィルスに人体が脅かされるのを防ぐという意味において、倫理的な働きだと思うのです。
人体が脅かされるから、倫理的なことを考えるのです。
例えば、人種差別・#MeToo(ミートゥー)・環境危機と経済危機。
ウィルスと関わる大問題で、誰も言及したがらないのは環境危機と経済危機です。
今回の危機は、金融危機という概念が誕生してから最大の危機で、これまでと違い、あまりにも大規模で、どれほどの脅威なのか把握することすらできないものです。
この経済危機は確実にやってきます。
いや、すでに訪れています。
今議論しなければならないのは、環境危機と経済危機にどう倫理的に対処するかです。
倫理資本主義
人類はウィルスから教訓を得ました。ウィルスは皮肉にも倫理的行動こそが問題の解決策であることを教えてくれました。
世間では倫理的に正しい行動を取ることは自己の利益にならないという認識が広まっています。
このことを突き詰めると、経済と倫理は相反するものであるという結論に達しますが、それはマルクス主義的な誤解です。
資本主義は本質的に倫理を攻撃し、破壊するものだとという誤解です。
資本主義のインフラ(生活や産業などの経済活動を営む上で不可欠な社会基盤と位置づけられ、公共の福祉のため整備・提供される施設の総称)、つまり市場インフラを使って、倫理的に正しいこと、例えば、失業者を雇用したり、環境保全を行ったりもできるのです。
これを「ネイチャー・ポジティブ」な経済といっています。
経済的価値体系と倫理的価値体系を一致させることです。
反対に悪い経済とは、倫理的価値のあるものと経済的価値のあるものが異なり、儲けるためには人を搾取しなければならないようなシステムです。
倫理的に正しい行動を取った結果、お金が儲かるような経済体制を作ればよいのではないでしょうか。
それを倫理資本主義と名付けました。
もし私の仮説が正しいとすれば、世界の経済秩序を考えなおして人間の相互尊重に基づいたビジネスモデルを構築し、そのモデルに沿った有形・無形の財の交換が実現できると思うのです。
倫理的に善い行いを意識することで持続可能性を高め、利益を上げる。
これこそが本当のSDGsな企業と言えるのでしょう。
コロナ後のビジョン
この危機を経た後は、環境への配慮が行き届いた、技術的に進んだ世界を思い描いています。
そこではもっとゆったりしたスピードでグローバリゼーションが起き、人々が敬意と感謝の念を持って生きています。
「ありがとう」という言葉が頻繁に交わされ、誰もが生きていることに感謝し、人との出会いや食べ物に感謝し、知的な生命が宿るこの地球に住んでいることに感謝しています。
マルクス・ガブリエル氏は、日本について、このように語っています。
日本人はお互いの気持ちが手に取るように見えるのです。
非常に精神的な文化で、どこに置いても精神が可視化しているので、哲学をするのには大変強力な場所です。
自然には生存する以外に意思はありません。
知性的ではありますが、複雑な思考はしない。
日本では、宗教的に、この考えを受け入れやすいのではないかと思います。
一神教においては、自然は知性的ではなく、愚鈍なのです。
自然が愚かであるという考えは非常に新しい。
2000年前まで、人類はそんなこと思っていなかった。
その前の20万年間、自然は主体だと考えられていたのです。
今こそ、自然が主体であるという考えを復活させなければならない。
倫理的な行動を取らなければ、現代文明は絶滅します。
では明日も1日前向きに!!
49 薬剤師あるある(4)
オンライン診療・オンライン服薬指導
皆さんはオンライン診療をご存知ですか?
遠隔医療のうち、医師-患者間において、情報通信機器を通して、患者の診察及び 診断を行い診断結果の伝達や処方等の診療行為を、リアルタイムにより行う行為と厚生労働省では定めています。
情報通信機器の内訳はネット回線を利用した映像と言語のやりとり、電話によるやりとりが想定されます。
ネット回線を利用したオンライン診療の構築をサポートする会社が数社あり、利用するためには、それぞれの会社のアプリケーションを医師と患者の双方がPCあるいはスマートフォンなどにダウンロードする必要があります。
通院が困難な方、院内感染が怖い方、慢性疾患で処方薬がほぼ固定しているような方に便利です。
今はコロナ禍ですから、初診でもオンライン診療は可能です。
そこで問題になるのが、処方箋と薬です。
今はコロナ禍なので、処方箋は医院や病院からFAXで送られてきます。
コロナ禍では、FAXで送られてきた処方箋を使って調剤(0410対応)もできます。
薬は取りに来局されたり、郵送も可能です。
オンライン診療ではカード払いOKのところとそうでないところがあります。
薬局も同じで、まだカードだけでOKというところまでは準備がされていません。
コロナ禍では、診療・服薬指導は電話でも可能ですし、処方箋も医療機関からの
FAX(0410対応)でも大丈夫です。
本格的に開始されると、オンライン診療も、オンライン服薬指導も予約してその時間にPCやスマホ等を使用して目に見える形で行われます。
病院や医院に行くまでに時間のかかる場所や、ネットの使える方には便利なツールですが、高齢者の一人暮らしや、家が密集している東京で、病院や医院が近くにある地域ではあまり役立たないのではないでしょうか?
高齢者はネットはもちろん、カードも持っていない方がたくさんいらっしゃいます。
本当に必要な方たちに使えるような仕組みにしてほしいと思っています。
現代は何でもスピードの世の中です。
そして手間を極力避けたがります。
コロナ禍ではなかなか病院や医院に行かれない、行きたくない特別な理由がありますが、コロナが収束した世の中で、このシステムがスムーズに進むとは思えないのです。
なぜなら、診療はまず、病歴の聴取(問診)が主体になります。
病歴聴取は診療技術の中でも、最も重要な技術です。
とはいえ、病歴で推測された病気を診察なり、検査なりで確かめていくステップが通常の診療ですので、オンライン診療の能力は全体の診療行為の正味の能力の半分以下でしかないでしょう。
また、ただの発熱と思っても、重大な病気が潜んでいる場合もあり、血液検査や、胸部X線撮影などを行う必要も出てきます。
通常の診療の半分以下の診療になりかねず、診療の質が低下するという問題点を抱えています。
スマホの画像や動画では、対面で行う診療と違い、触診することができません。
不整脈だと診断するのには心電図が必要なのに、取ることができません。
など問題は山積みです。
本格的にオンライン診療が始まると、初診(初めて診療する方)は不可です。
オンラインでは初めての患者さんと人間関係を構築しにくいです。
また、病歴の聴取(問診)にはかなりの時間がかかります。
オンラインのデメリットを以下に示しました。
- 診療の質が低下する問題点がある。
- 身体の急変に対処できない(即時性がない)。
- 人との距離が遠くなり、情報が正確に伝わらない。
- ネット環境があり、カード使用(現金でも可)できる人だけにしか利用できない。
オンライン服薬指導も同様です。
本格的に開始されれば、今のところ処方箋の原本が必要になります。
これはどう考えてもオンラインではないですよね?
処方箋の電子化が可能になれば解決できるのでしょうが・・・。
初診は受け付けられず、最初は医療機関・薬局それぞれに行かなければなりません。
生活習慣病など、同じ薬の処方に限ります。
急な病気や身体の急変に対する処方もできませんし、調剤もできません。
処方箋は薬局に郵送されますが、コロナ禍のように、FAX(0410対応)では調剤できず、処方箋の原本がないと調剤できないので、タイムラグが生じます。
薬を郵送する場合は、お薬代の上に郵送費がかかります。
まだまだこのシステムが定着するまでには時間がかかりそうです。
では明日も1日前向きに
48 新型コロナウィルスのパンデミックがもたらしたもの(1)
オードリー・タン氏
台湾におけるウィルス封じ込め作戦はあまりにも有名ですが、それはオードリー・タンという一人の人だけで成し得たことではありません。
台湾の社会の仕組みを変化させてきた国民全体の力と言えるのではないでしょうか。
2020/1/20、感染者が出る前から、中央感染症指揮センターを設立し防疫対策に臨む体制作り。
2020/1/21、武漢から帰国した台湾人女性の感染確認。
2020/122、武漢からの団体観光客の入国許可を取り消し。
2020/1/24、中国本土すべての団体入国禁止。
スマートフォンによる感染経路の確認および濃厚接触者に警告メールで伝えたり、
マスクの増産を指示し、政府が全て買い上げ、すべての人に行き渡るような策を講じました。
ところが、日本でも起きたように、マスクの買い占めが出て、すべての人に行き渡らないことが分かりました。
クレジットカードやICカードで実名販売し、1回しか買えないようにしましたが、国民の4割にしか行き渡らなかったことが分かりました。
そこで、カードだけでなく、全民皆健康保険(カードまたはデジタル)を使うことで高齢者にもマスクが行き渡るようにしました。
スマホや自動販売機を使って、誰がマスクを買ったかがわかるようにしました。
並ばないで買えるよう、マスクマップを3日間で作成しました。
これには、シビックハッカーと言われる、政府が公開したデータを活用してアプリやサービスを開発する民間のプログラマーが大きな成果をもたらしたとのことです。
オードリー・タン氏は、次のように言っています。
大事なことは、国民が自発的に政府に協力してくれたことです。
信頼関係がなければ、デジタル化は進みません。
そして政府や民間が、あらゆる機関をまたいで統合しなければ問題を解決できないのです。
そうすれば情報を再確認し、お互いに意見を出し合って対策を考えることができます。
台湾ではロックダウンは行っていません。
なぜならSARSの経験を生かしたからです。
その経験は2つのことを教えてくれました。
- ロックダウンは、社会的に良い結果を生まない。
- マスク(特にN95)の着用は感染予防効果が高い。
台湾は次のようなスローガンを掲げました。
「Taiwan can help 台湾は手助けできる・お互いさま
困っている人を見れば、誰に指示されることなく、自発的に積極的に手を差し伸べる。」
で、大量のマスクと防備用品を送る医療外交に着手しました。
また、少数の人が高度な科学知識を持っているよりも、大多数の人が基本的な知識を持っていることの方が重要なのです。
マスク着用・手洗い・ソーシャルディスタンスを可能にします。
デジタル技術は社会の方向を変えるものであってはいけないのです。
より広く、より早く伝えるツールであって、民主主義を変えるものであってはいけないのです。
AIは全ての人が使えるものでなくてはならないのです。
ですから高齢者は使えないAIではだめなんです。
それにはネット環境の整備が必要ですし、4G→5Gを地方から始めていくことが必要です。
オードリー・タン氏はさらに今後のデジタル化について、次のようなビジョンを持っています。
3つのキーワード
持続可能な発展・イノベーション(技術革新)・インクルージョン(誰一人も置き去りにしない)
そしてこれらの目標を達成するためのキーワードも
3つのキーワードがあります。
それは、以下の3つのキーワードになります。
自発的・相互理解・共同作業
AIはあくまでも人間を補助するツールであって、人間にとって代わるものではない。
AIで次世代に絶対にリスクを残すものであってはならず、次世代により良い環境を残す方策を練り、私たちがどの方向に行きたいのかを手助けしてくれるツールでなけらばならない。
このオードリー・タン氏の本を読んで、彼は本当にすごい人だと感じました。
彼は台湾の行政院(日本でいうと内閣)の閣僚の一人である、デジタル担当の政務委員をしていますが、公僕中の公僕になる!つまり国民のために、未来のために働きたいといっているのです。
彼は成長期に男性ホルモンが80歳の男性と同じレベルだったそうです。
男性としての思春期・女性としての思春期をそれぞれの年齢で過ごしたそうです。
ですから彼は中性、彼自身はトランスジェンダーと自覚しています。
性別は男でも女でもない“無”だそうです。
彼は24歳の時にこのことをカミングアウトし、25歳の時に名前を「唐鳳(とうほう)」に変えたそうです。
「オードリー」は男女どちらにも使える、ニュートラルな名前であると感じたからです。
また日本の友人から、「鳳」は「おおとり」と読むし、発音がオードリーに似ているといわれ決めたそうです。
トランスジェンダーとして生きている彼は、男女の枠を超えて自由度が高いし、少数派に属しているので、すべての人に寄り添うことができると感じています。
今の資本主義の競争社会からお互いに助け合う社会、持続可能な社会に変換させようとしている人です。
それをデジタルを使ってやろうというわけです。
その前に、私たちがどういう方向に進もうとしたいのか?と言う議論が先にあることが大事なことだとも言っています。
これから自分の仕事がAIに取ってかわられても、人間はより良い公共の価値を生み出すことができます。
より良い方向を示すことができます。
AIはのび太の成長を促すドラえもんだと思えばいいのです(オードリー・タン)
では今日も一日、前向きに!!
47 薬剤師あるある(3)
薬局に入ってこない人
小さな薬局では、待っている方がたくさんになるとソーシャルディスタンスが取れず、当然ながら、外でお待ちいただくか、いったん家に帰ってから再度来局をお願いするかの選択をしなくてはなりません。
地域密着の薬局なので、再度の来局はそれほど無理なことではないのですが、すぐにお薬が必要な方にとっては、待ち時間はつらいものです。
増してや、医療機関で長い間待たされた方にとっては、待ち時間の長いのは、苦痛そのものです。
「どのくらいの時間がかかりますか?」
「早くしてもらえませんか?」
薬局に入るなり、顔つきが戦闘モードの方は、口に出さなくても、こう顔に書いてあります。
中には処方箋を片手で出して(薬局が小さいので、入り口の近くに処方箋置き場があるため)、外にずっと待っていて、薬局に入ってこない方がいます。
どんな人かと言うと、
- 犬を連れている方。
- コロナが怖くて薬局に入ってこられない方。
- 電話をしている方。
- 自転車の前後に子供を乗せたままの方。
時々犬を抱いて入ってしまう方がいて、こちらからお断りしています。
コロナが怖くて入ってこられない方には、服薬指導時間も短時間にしています。
電話が長すぎてお呼びするのを逸してしまいますので、電話は短めにしてほしいと思っています。
自転車に子供を乗せたままのお母さん、気持ちはとても良くわかります。
今の自転車はシートベルトやいろいろな装具がついていて、乗り降りが大変ですね。発熱しているとかぐっすり寝てしまっているとか・・・どうしてもという時はこちらから外に出て服薬指導していますが、なるべく薬局内に入ってきてほしいと思います。
中には自転車に子供を乗せたまま、お母さんが薬局内で待っている方がいて、慌てることがあります。
今の自転車(電動自転車)は倒れにくいとは知っていますが、やはり危険です。
待ち時間にスマホばかり見ている母親
私たちの薬局は、小さいので、座る場所があまりありません。
ですから、私たちのモットーは早く、正確に!!です。
お子さんを連れたお母さんは、ほとんどいってよいほど、待ち時間にスマホを見ています。
その間子どもは・・・・薬局内を走り回ったり、椅子の上に土足のまま立ったり、薬局の調剤室に入ろうとしたり、2階に行こうとしたりなど・・・
ところが、お母さんは全く子供を見ていないのです。
私たちが困って、子どもに ここは走っちゃダメよ!とか2階には上がらないで!、椅子の上にたたないで!
と大きな声で注意すると、おもむろに顔を上げて、子供を叱るばかりかこちらを睨む人もしばしば・・・。
こんなシーンに最近多くであうような気がしています。
子供をあまり縛らないことは子育てには必要なことですが、公共の場での子どもの行動は、親がしっかりと躾けないと、誰が躾けてくれるのでしょうか?
TPO(Time・Place・Occasion)をわきまえた行動(本来の意味は服装だそうですが・・・)を教えるのも親の仕事です。ところが、親がTPOをわきまえた行動ができていなければ、子どもに教えようがありません。
たまにこれをしっかりと躾けている親に会うと、涙が出そうになります。
それくらい少なくなった事が問題ですが・・・。
患者さんに気持ちよく帰っていただくために
患者さんは薬局に入ってくるとき、少なからず不安を感じていると思います。
また何らかの病気を抱えているわけですから、気分も良くないはずです。
そこで私たちは次のことを考えています。
- なるべく薬局内の滞在時間を短くすること。
- 待っている間に不安になる言葉を発しないこと。
- 薬がそろわない場合は、なるべく早くお話し、いつ手に入り、どう患者さんの手元に渡せるのかを説明すること。そして約束したことは必ず守り、守れないときはなるべく早く連絡を取ること。
- 服薬指導は丁寧に。患者さんにあった服薬指導をする。例えば耳の遠い方には大きな声で、目の見えない方には、すぐに薬が使える法をお互いに共有する、たくさんの薬を
そろえられずに困っている方には、一包化という方法を相談する。などなど・・・
- 何でも相談できる雰囲気を作る。
最後には気持ちよく帰っていただき、またこの薬局に来たいな!と思ってもらうよう心がけています。
私たちも人間ですから、間違えることがないとは言えませんが、人間は面白いもので、コミュニケーションがしっかりとれている相手のしたことには目くじらを立てないものだと思います。
ですから、コミュニケーションを何よりも大事にしています。
コミュニケーションにはマニュアルはありません。
相手の目を見て、相手が発する言葉や、顔つきなどを注意深く見ながら話さなければなりません。
コミュニケーションには、それまで生きてきたその人のすべてが出てしまうものです。
相手の立場に立てる人?自己中心的な人?閉鎖的な人?誠実な人?・・・
いくら薬の知識を伝えようとしても、なかなか伝わらないことがあります。そんな時は話題を楽しいものに変換し、相手の気持ちをほぐすことが大事です。
薬局だけでなく、人間にとってコミュニケーション能力は最も大事だと言っても過言ではないと思います。
なんでも相談できる場所
昔から薬局は何でも相談できる、話ができる、コミュニケーションの場となっていたと思います。
私の祖父は戦前から薬局を営んでいましたが、薬局にはいつも人が集まっていて、おしゃべりできる場でした。
現代は核家族が多いため、子育てについて相談できる場が少なくなっていると思います。
また、認知症や介護のことは経験者から話を聞くことで、精神的に落ち着くこともあります。
私は薬局をそんな場所にしたいと思っています。
では、今日も1日前向きに!!
46 頭と身体
文武両道
「文武両道」という言葉は、文事と武事、学芸と武芸、その両道に努め、優れていることを指す語で、現代では勉学と運動(スポーツ)の両面に優れた人物に対して用いられます。
以前にお話しましたが、アタマ(意識)と身体(無意識)は人間の場合、アタマが上で身体が下と離れています。
全ての動物が離れているわけではないのです。
コウモリは逆さにぶら下がって暮らしていますが、脳の中でも体の割り付けが人と逆になっている(養老猛)そうです。
人間のアタマと身体がなぜ離れているのかは、まだなぞだそうです。
アタマと身体は別の文化を持っていて、そのバランスが取れていることが大事です。
日本において、近年までは身体の訓練、いわゆる「修行」をずつとやってきた結果、生まれたのが「道」であり、「型」でした。
「型」は言語なしに万人に通じるものでした。
ですから言語なしにわかるのです。
ところが、現代はこの身体の訓練、結果的には「型」が失われつつあります。
アタマは言語表現、身体は身体表現で、これまではこのバランスがうまくいっていて、それを文武両道といっていたのではないでしょうか?
最近は身体表現が衰退してきて、言語表現の方が大きくなってきたように思います。
言語表現できないこともたくさんあるのに、理論的に説明できないことはだめ!と決めつけすぎているのではないでしょうか?
子供を育てていると、段々成長してきてホルモンバランスが変化する時期になると、説明できない苛立ちと言おうか、アタマと身体のアンバランスを感じる時期があると思います。
若い時に身体表現(運動や身体を動かすこと)を充分にやっておくことが重要だと思います。
知識と経験のバランス
人間には2つのタイプがいるのではないでしょうか?
どちらかと言うと知識が先の人。もう一つはどちらかと言うと経験が先の人。
私はどちらかと言うと経験が先の人間です。と言うのもどうしても体が先に動いてしまうのです。
そしてじっとして読書するのがあまり好きでなかったこともあります。
極端に言うと、
飛び込み台にあなたがいるとしましょう。
ある人は、下のプールに充分に水がはってあるかどうかわからないのに調べもせずにいきなり飛び込むタイプ。
ある人は、飛び込み台に本をたくさん持ってきて、ここから飛び込んでも大丈夫なのかを研究して、結局飛び込まない人。
どちらもちょっとバランスが悪いですね。
前者はアウトドア派、後者はインドア派と言ってもいいのでしょうか。
経験をすることは、必ず、傷ついたり、挫折したり、壁にぶつかったりするので、そこで自分の反省ができると思いますが、本ばかり読んでいる人は、いろいろな世界は知ることができても、生身の身体で感じることができないので、こう考えるとこうなる、とアタマだけで考えてしまい、行動をすることができなくなるのでしょう。
こう考えればこうなる、こうすればこうなる・・・これはとても大事なことだと思いますが、理論では説明できないことが起こるのが人生です。
私は若い時は傷つくことを恐れずにどんどんいろいろな事に挑戦して、経験してほしいと思います。
しかし、経験するからには、必ず反省することが大事です。反省があるからその先、ホップ・ステップ・ジャンプと飛躍することができるのだと思います。
そしてその反省の中には、必ず読書をしたくなる時期が来るのです。
これが、経験と知識のバランスの取れた状態だと思うのです。
そしてアタマと身体がうまくかみ合っている状態だと思うのです。
現代は情報が多すぎて、アタマがパンパン状態なのに、身体が十分に機能していない状態だと思います。
コロナ禍で身体を動かすこと、経験することが極端に制限されてしまっていますので、アタマがパンパンになっています。
つまりインプット>アウトプットなのです。
何しろアウトプット、つまり人に話すこと、汗をかくこと、涙を流すこと、笑うこと、何でもいいです、是非今までよりもたくさんアウトプットしてください。
そしてアタマと身体のバランスを保つよう努力しましょう。
では、今日も一日前向きに!!
45 薬剤師あるある(2)
患者さんの反応もそれぞれ
薬剤師は処方箋をいただいてから、薬の量や選択に間違いがないかどうか調べてから、服薬指導(薬の効果や、服用方法などを説明する)をするのですが、患者さんの反応も人それぞれです。
こちらの説明をしっかり聞いて、時々あいづちをうったり、質問したりしてくれる患者さんは、こちらとしてもとてもやりやすく、しっかり説明できるので、そういう方はコンプライアンス(薬剤規定どおりに服薬すること)が良いと期待できます。
そうすれば、アドヒアランス(治療や服薬に対して患者が積極的に関わり、その決定に沿った治療を受けること)が良くなり、治療効果が期待できます。
薬の知識を知ることはもちろん大事ですが、服用方法を間違えると全く効果がなくなってしまう薬や副作用が強く出てしまう薬などがあります。
食前に服用とあるのに食後に服用してしまうと、食事の影響を受けて効果がなくなる場合があります。
また、食後の薬を空腹時に服用してしまうと、副作用を起こす可能性がある薬もあります。
患者さんの中には、良くこちらの話を聞かないで帰ってしまう方もいます。
「・・・・」 無反応の方。わかったのかどうか判断ができません。
「いいから、さっさとくれよ!」 こちらの話を全く受け付けません。
「わかっているから、説明はなしにして!」 本当にわかっているのか判断できません。
「先生から聞いているから、使い方はわかっている」 本当にわかっているの?
このような患者さんは注意して、次に来局した時に再度確認しています。
「あの吸入器、壊れているから取り換えて!」と来局する方がいます。
そういう方は、だいたいこちらの説明を聞いていない方が多いです。
ものによって使い方が全然違うこともあり、使用方法をしっかりわかってから使用しないと、壊れてしまったり、薬剤が出なくなってしまうものもあります。
「自己注射がうてない!これ壊れている!」と来局される方がいます。
もちろんその注射器が不良品である可能性もありますが、うち方が正しくない場合の方が圧倒的に多いです。
本人は毎日うっているのだから間違いがあるわけないと思われているでしょうが、まだまだ自己注射のうち方は難しいです。
一番困るのが、麻薬です。
患者さんにとっては、今すぐ使いたいと思われるのが当然です。
在庫のある麻薬ならすぐ調剤できますが、ない薬の場合、1日または2日入ってくるのにかかってしまいます。
まだまだこの配送システムには問題がありますが、それだけ取扱いに注意しなくてはならない薬だからです。
がんの末期など、自宅で過ごしたい、自宅で看てあげたい、と思われる方が多くなっている中、それにブレーキをかけるようで心苦しいです。
最期はどこで迎えたい?
私もできることなら、最期は自宅で過ごしたいと思っています。
居宅訪問医療が進んでくれることを切に望んでいますが、やはり自然な最期を迎えたいと思っています。
延命治療(無駄な点滴や遺漏など)はしないでほしいです。
ただ痛みだけを緩和してくれればいいと思っています。
ところが、自宅で看取るということは、意外と難しいのです。
在宅のお医者さんも、看護師さんも、24時間いつでもいらしてくださいますし、緩和ケアもできますが、問題は、本人がどうしても自宅で、と望んでいても、家族が最後まで看取る覚悟があるかどうかです。
口では本人の希望通りにといっていても誰か一人でも、
「もう見ていられない、可愛そうだから病院に連れて行って!」
と言えば、家族で説得しない限り、医者も看護師もケアマネもそれを止めることはできません。
昔は入院できなかったからなのか、自宅で看取るのが当たり前でしたが、現在では、本人が自宅を望んでいるにもかかわらず、病院などの医療機関や介護施設が圧倒的に多いです。
やはり家族の声が聞こえる自宅が一番リラックスできると思っています。
皆さんはどこで最期を迎えたいですか?
自宅?病院?
今日も1日前向きに!!
44 立花隆さんを忍ぶ
サイボーグ技術が人類を変える(2005/11/5NHKスペシャル)
ジャーナリスト・評論家の立花隆さんが、4月30日、80歳で亡くなりました。
執筆テーマは、生物学、環境問題、医療、宇宙、政治、経済、生命、哲学、臨死体験など多岐にわたっています。
先日、サイボーグ技術が人類を変える(2005/11/5NHKスペシャル)の再放送を見る機会があり、それからもう16年経っているのかと驚きました。
人間の脳とコンピューターを結びつけることが可能になっています。
16年前、「物質文明の行き着く先は・・・生命の神秘・・・ヒトはどこに行くのか」という
テーマで立花さんはこのように言っていました。
『サイボーグはサイエンス・フィクション、つまりSFの世界の話だと思っていたが、最近現実のものとなり始めた、と聞きました。
人間は様々な機械や道具を発明し、社会は大きく変わってきました。
しかし、人間の肉体それ自身は全く変わりませんでした。ところが、サイボーグ技術、つまり神経を一体化させて融合させる技術が生まれたことで、史上初めて人間の肉体が変わり始めました。』
この放送の最後の、アメリカのハンク・グリーリー教授(スタンフォード大学:神経倫理教授)の言葉が、忘れられません。
『脳は人間の中心にあるため、問題があるのです。
脳を変え過ぎた場合、それでも人間は人間という種に属するのでしょうか?それとも違う種になってしまうのでしょうかを決めることはとても難しいことになってきます。
さらに、人間を超えたものに変わっていくとしたら、それが良いことなのか悪いことなのか、その答えを私は持っていません。
この技術が本当に広く人間に使われるまで、あと数年しかありません。
世界中の人達がそれがもたらす社会的影響の問題に意見を述べ合い論じ合うべきだと思います。
話し合いが早すぎることはありません。』
これからすでに16年経っていますが、このことを論じ合った記憶はありませんし、未だにどこまで進んでいるのか、はっきり知りませんが、少なくとも私たちが想像しているよりはるかに進んでいることは明らかです。
核爆弾の恐ろしさは、残念ながら、落とされた広島・長崎の悲惨な姿を知ることでもたらされています。
人間はいかに愚かな生き物であるかがわかります。
世界中の人達が、科学技術の進歩に対して、それがもたらす社会的影響を事前に充分論じ合うことがとても大切なことで、人間はそれができる生き物であることを私は信じたいと思います。
立花隆さんは、16年前に、こう最後を締めくくっています。
『脳とコンピューターを直接つないでコンピューターを操作する技術が進んでいます。
現代社会はコンピューターであらゆるものが動いている社会、体が全く動かない人でも、脳だけでこの世界のあらゆる関係を回復できるようになるわけです。
人間サイボーグ化の方向で使う技術がどんどん精巧なものになりつつあります。
そしてそれはどんどん小さくなり、目に見えないくらいの部品となって、人間の体に入っていく。
この技術は非常に広く使われると思う。
そのときにこの技術が違う方向、例えば軍事技術に使われると、とんでもない、人間スーパー殺人マシーンのような能力を与えたりするわけです。
ですからいったいこの技術をどっちの方向に持って行くのか、そういうことをみんなで真剣に議論し合わなければならない時期に、今まさに来ていると思うのです。
5年前になかった技術が、ワァーと爆発しそうになってきているといわれるこの時点、この時点だからこそ今、そういう議論をする必要があるのだと思うのです。』
切羽詰まったこの呼びかけから16年、グリーリー教授の「話し合いが早すぎることはありません」という言葉に開眼しましたが、今からでも遅くはないと私は思います。
そして議論はずっと続けなければならないと思っています。
サイボーグ化
身体拡張
義手
兵士の脳にチップを埋め込む
国際サイボーグ倫理委員会
では今日も1日前向きに!