3 抗がん剤治療開始と副作用
乳がんの細胞障害性抗がん剤治療開始(2018/11/15~2019/4/15)
AC療法(3週間ごとに点滴X4回)1回目
アドリアシン(心不全や心筋障害を起こすため一生に1度しか投与できない薬)とエンドキサンによる治療。
この薬の副作用を調べるため、最初の投与時だけ1日入院。
その夜は9度くらいの発熱があったものの、翌朝平熱に戻ったため退院。
ポート埋め込み手術
投与時に点滴のための針を血管に入れるのですが、私の血管は細いらしく、なかなか入らなかったのと、投与時の血管痛があったので、すぐに胸にポート(皮膚の中に設置するもので、何度も針を刺したり外したりできる医療機器)を入れて欲しいと頼み、12日後、ポートの埋め込み手術を予約しました。
抗癌剤投与前に気持ちが悪くならないよう制吐剤とステロイドが投与されるため、食欲もあまり落ちなかったのですが、ちょうど1週間後に逆流性食道炎のような胃の違和感が出始めました。
それと同時に便秘も始まりました。
11月27日にポート埋め込み手術の日、血液検査をすると、投与前は6000近くあった白血球数が1700まで落ちていました。
ここ2〜3日とてもだるかったのはそのせいか!
手術は局所麻酔なので、施術する先生の声はまる聞こえで、普通は30分〜1時間で終わると言われ、坐骨神経痛の痛みをなんとか我慢できる!と臨んだのです。
先生方 「脇の下の太い血管が見つからない!これか?これかも?これじゃない!」
と2人の先生方が血管と格闘している間に麻酔が切れて
私 「先生、痛い!麻酔して〜 腰ももう限界!早くして〜」
そうこうしているうちに1時間が過ぎ、
先生方 「見つからないから諦めて首の太い血管に繋げます!」
というわけで、埋め込み手術は約2時間かかりました。
病室に帰ってきて、ぐったり!ご飯を食べる気にもならず、かと言って坐骨神経痛で熟睡もできず……。
私 「あっ、きたーーー!毛がごっそり抜ける〜〜」
脱毛が始まったのは抗がん剤投与から2週間後のことでした。
AC療法(3週間ごとに点滴X4回)2回目
1回目の抗がん剤投与から3週間経って、2回目の投与。
今回は日帰りでOK。
白血球数も4700に回復。初めてのポートからの投与、とても快適!!
坐骨神経痛(リリカは眠気がひどかったので夜だけ75mgで昼間は25mg)&鍼。
AC療法(3週間ごとに点滴X4回)3・4回目
2回目あたりから、坐骨神経痛が和らいできたようで、3回目の抗がん剤投与時には、坐骨神経痛の痛みはほとんどなくなっていました。
椎体のがん細胞に効いている感じがしましたが、肝心の乳がん自体はあまり小さくなりませんでした。
次に現れた副作用が手の指の皮膚のガサガサと亀裂。味覚障害。関節痛。
さらに、これが最大の副作用で、足の浮腫と手足のしびれ。これは2年以上経った今でも薄らいではいるものの、決してなくならない副作用。
また、坐骨神経痛でまともに歩いていなかったため、お尻の筋肉がほとんどなくなり、少し歩くと筋肉痛。
足の浮腫と手足のしびれと筋肉痛との格闘の日々の始まりです。味覚障害と関節痛は続くものの、ひどくなりませんでした。
足のしびれには、トラムセットがよく効きました。
ドセタキシル(タキソール)療法(3週間ごとに点滴X4回)
2019/2/6~4/15
次の細胞障害性抗がん剤はタキソールでした。
4回のAC療法で痛めつけられた身体でしたが、私の副作用は軽い方だったと思われます。
食欲はあったし、坐骨神経痛がなくなったため歩ける様になり、仕事も以前と変わらずに続けられました。
とは言うものの、このタキソール療法はさらに体を傷めつけにかかってきました。
副作用は両足の浮腫と手足のしびれ・関節痛がひどくなりました。
特に浮腫はももから足先までパンパンに腫れて、歩くのが辛かった。
兎跳び100回やった後の足(皆さん、わかりますよね?)のように階段はなかなか登れませんでした。
しゃがむことが困難で、椅子から立って歩けばロボットのように関節が言うことを聞いてくれません。
利尿剤(ラシックス)を処方してもらい、何とか軽減できましたが、心臓・腎臓にムチ打たれているので、利尿剤を使うこともためらいました。
時々足を上げる時間を作らないと歩けませんでした。
というわけで、2019/4/15に最後の細胞障害性抗がん剤の投与は終了しました。
次回は分子標的薬の投与について話します。
今日も前向きに頑張りましょう!!
2 治療開始
前回お話したように、乳がんステージ4と診断されてからの経過です。
肺の手術
まずは肺に転移した乳がん細胞(どこにあっても転移なら乳がん細胞になります)を手術で除去し、退院したのは、最初のがん宣告から1か月半後のことでした。
その頃から、腰椎の椎体に転移した癌が大きくなり始めたようで、神経の痛み(坐骨神経痛)で歩けなくなり、車椅子での移動を余儀なくされました。
薬(リリカ)でなんとか痛みを抑えつつ、みんなに協力してもらい、仕事に復帰しました。
幸い職場が家から近かったこと、あまり歩かなくて良い仕事だったのでなんとか続けられました。
あまりの痛さに知り合いの方にお願いし、鍼治療がとても有効でした。
歩いている人を見ながら、なんでみんな普通に歩けるんだろう?
と不思議でたまりませんでした。
カツラの購入
退院してまず私がしたことは、カツラの購入です。
今後抗がん剤の副作用で毛が抜けることはわかっていましたので、早くカツラをつけたい!と思いました。
今のカツラは素晴らしく、人工毛髪に人間の毛髪をうまく取り入れて自然な毛に仕上げているので、とても気に入りました。
何十年前に成人式の写真を撮るために母が買ったカツラとは大違い。
つけてみると、これが簡単!! 死ぬまでカツラで行こう!
白髪の多くなった毛髪を染める手間とお金がかからない!毎朝整髪しないでいい!
なんと素晴らしい〜〜。
ということで、毛の生えてきている今も毎日カツラ! ポン、ポン、ピタッ!
乳がん治療の流れ※
① 手術
② 放射線
③ 薬物療法(化学療法・抗がん剤):※細胞障害性抗がん剤・※分子標的薬
④ ホルモン剤
私の場合は、ステージ4なので、手術・放射線はあとで考えるということになり、まずは延命や症状緩和の目的で、薬物療法(細胞障害性抗がん剤)を始めました。
※ 細胞障害性抗がん薬
正常な細胞にも障害を与えるため、患者さんにとって好ましくない「副作用」が現れます。
「嘔吐」や「吐き気」などの副作用をコントロールする薬が開発されていますが、脱毛は避けられません。
※ 分子標的薬
がんの増殖やがんを攻撃する免疫に着目してがんを攻撃する薬です。
乳がんの場合は細胞診でHER2(ハーツー)が陽性であれば使用できます。
正常な細胞に障害を与えないため、副作用も比較的軽度です。
最初の抗がん剤開始
乳がん細胞にはいろいろな種類があり、細胞を取って検査するのに2か月くらいかかと言われました。
その結果を待っている間にもがんは増殖してしまうので、まずは乳がん自体を小さくすることと全身にまわっているがん細胞を死滅させる目的で、細胞障害性抗がん剤治療を開始しました。
最初のがん宣告から2か月後のことでした。
乳癌診療ガイドライン(※)AC療法 を1回/3週間 4クール
※ 日本乳癌学会 乳癌診療ガイドライン http://jbcs.gr.jp/guidline/2018/
まだ坐骨神経痛は続いていました。
次回は抗がん剤の副作用の話をします。
では次回をお楽しみに!今日も1日前向きに!!
1 一寸先はヤミがいい
2018年9月乳がんステージ4と
診断された時、私は64歳でした。
乳がんは突然就寝時に現れました。
子供を3人産んだ頃から左乳房の周りがちょうど浮き輪のように硬くなっていました。
特に調べることもなく30年が経ち、突然浮き輪の真ん中にピンポン球が現れたのです。
後から考えてみればその浮き輪が時間をかけてガン化していたのでしょう。
もちろん年2回の定期検診は必ず受けていましたし、腫瘍マーカーの検査も1年に1回受けていて、乳がんの指標であるCEA・CA15-3に異常はありませんでした。
ただし、マンモグラフィー検査は一度も受けたことがありませんでした。
乳がんは現在かなり高い確率(ステージ1の5年生存率は99、9%)で治る病気になっていますが、ステージが上がるたびにその5年生存率は低下します。
ステージ4の5年生存率は約30%です。乳がん治療にはたくさんの抗がん剤があり、治療方針も確立されています。
主治医は穏やかなやさしい男性の先生です。
当時の主治医とのやりとりです。
主治医 「リンパに転移があり、右肺と骨(椎体)に転移らしきものがあるんだけど、呼吸器科の先生に相談したら、右肺の細胞は乳がんの転移とも肺がんとも見分けがつかないが、どうも転移の可能性が高い。幸い肺には1個しか発見できないので、すぐに除去手術をしましょう。また椎体の骨転移は厄介で、細胞を取ることができず、何か症状が出てこない限り何もできないのですが、症状が出て来たら、放射線を考えます。
あなたはこれからつらい治療に入るので、早くこれはクリアーしましょう。」
というわけで、腹腔鏡ならぬ胸腔鏡手術(左脇胸に2箇所穴を開ける)で細胞を除去したところ、やはり乳がんの転移であることがわかりました。
主治医「ステージ4だと、乳がんを手術するかどうかはあとで考えることにして、まずは決められた治療が確立されているので、治療を開始しましょう。」
ステージ4とは?
リンパに転移(ステージ3)があり、肺と骨(椎体)に遠隔転移があること
私 「それは乳がんの手術をしてもしなくても5年生存率に差がないということですか?」
主治医 「まあ、そういうことです。」
私 「でも先生、乳がんはこのまま放置するのは嫌なので、その後手術して取ってもらえますよね?」
主治医 「でもあなたの場合は、全部取ることになるけどいいですか?また乳房再建もできますが・・・。」
私 「乳房全摘してください!!乳房再建はしなくていいです!」
私の職業は薬剤師で
街の調剤薬局で働いています。
今まで多くのがんの患者さんともお話しさせていただきましたが、ステージ4は、限りなく死に近いという印象です。
自分がそう宣告されたことはショックでしたが、死の恐怖は感じませんでした。なぜ感じなかったか?それは今後お話ししていくつもりです。
ああ、死ぬまで生きられるんだ!!
なんて当たり前の言葉が頭の中を巡りました。
死の宣告(その時は1年くらいしか生きられないと思ったので)を受けたことで、
チコちゃんに叱られるようにボーっと生きてきた毎日が急に輝いて見えてきたのです。
死ぬまでにやらなきゃならないことがある、早くやらなくちゃ、私には時間がないのよ!
アドレナリン、全開!
がん保険はいくら支払われるのか?
私の入っているがん保険は、古いもので、65歳までに癌と診断されたら100万円出るものでした。よくみると、65歳以上で診断されると半額の50万しか出ないことがわかりました。私はギリギリ64歳10ヶ月で乳がんと診断されました。
※現在はたくさんのがん保険がありますが、私が加入した約30年前の保険はあまり種類がありませんでした。今は3年に1回はがん保険を見直した方が良いと言われるくらい、がん治療は進歩しています。
なぜ今ブログを始めようと思ったのか?
1年で死ぬかもしれないと思っていたのに、乳がんの宣告から2年半経って、乳がんと診断される前と同じ生活、いや、それ以上に輝いた生活を過ごしていること、乳がんという病が私を変えてくれ、教えてくれたことを、同じ病気の方やこれから病気になるかもしれない方に発信することで、病気になることを恐れずに、いつも前向きに生きていきましょう!と言いたいのです。
病気が精神力で治るなんて、思っていませんし、病気をしっかり受け止めて生きることに意味があるんです。
世の中にはいろいろな病気があり、不治の病は存在します。
病と向き合ってどう生きるのか?どう生きたいのか?死ぬのをただ待っているの?
それは自分への問いかけであり、どうしたって自分自身と向き合わざるを得ない(内観)作業が必要となるのです。
※内観とは、内省、つまり自分自身の内面を見つめること。
例えば、辛い時、なぜ辛いと思うのか?何が自分を辛い思いにさせているのか?
まずは自分自身の思考と感情に気づき、それを受け入れてから全て否定してみる。
そこからまた新たな自分を築き上げることではないでしょうか。
それには自分の生い立ちやつらい過去との対峙が必要になるはずです。
内観はいつだってできますが、人は何か壁にぶち当たらないと、その必要性を感じないものです。
でも内観は早くしておく方が生きやすくなります。
だって自分はこういう人間なんだ!ということが分かれば、将来何が待ち受けていようが対処できるようになるからです。
人間が誕生して以来、今まで死ななかった人は1人もいないんです。
死への漠然とした恐怖については、先人たちが色々な知恵を教えてくれています。
私の考えを今後ブログに書いていきたいと思っていますので、私のブログを読んで、何かそのきっかけをつかんで、前向きに生きることができれば幸いです。
人生一寸先はヤミ、とよく言われますが、私は一寸先はヤミだからいい!ヤミだからこそ、その中に光を見つけた時の感動は何にも変えられない喜びがあると言いたいのです。
ボーっと生きるより、死を意識して生きる方が面白い、今生きてるって思えるのは楽しいじゃないですか。
では、次回をお楽しみに!明日も1日前向きに頑張りましょう!!