一寸先はヤミがいい

〜薬剤師ガンサバイバー 今日も前向きに〜

91 差別と平等について(4)

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母と子

三つ子の魂百まで」と言うように、3歳までの育ち方はそのあとの人のあり方に相当大きな影響を及ぼすとされています。

そしてこの時期でなければ体験できないことの1つに「言語の習得」があります。

言葉は3歳ころにしゃべれるようになるのですが、どうして話せるようになるのかは未だになぞです。

そして、この時期に、人のいる環境で育たないと言語は獲得できないといわれています。

赤ちゃんは、生まれて最初に見た動くものを母親と思う「刷り込み:インプリンティング」が知られています。

しかも1回限り、期限が過ぎてしまうともう記憶されないそうです。

 

人と居る」の人は誰なのでしょう?

やはり一般的には家族になるでしょう。

そしてその中で群を抜いているのが母親です。

父親でも可能なのですが、母親との関係は、他の家族との関係と比べると比較にならないほど濃密です。

このことを「母の懐(ふところ)」といいます。

母乳を飲むことはもちろん、母に抱かれ世話されて育つということをあらわしています。

言語の習得には「人と居る」ことの中心部分の「母の懐」が欠かせないのです。

自分が育ってゆく、そのような結果として言葉があるのだといえます。

 

ルース・ベネディクトの「菊と刀」の中に、自由について日米の違いを述べている部分があります。

米国では、子どものとき厳しく、成人で自由が最大になります。

日本では、自由は、子どものときが最大で、成人で厳しく制限されます。

ただし、男児と女児では大きく違い、男児はチヤホヤされ、甘やかされ、人生で一番いい時を過ごすということです。

大人になって規律に縛られると、思うのは母の懐で、女性に対して、母なるもの、母としての女性を求めるというわけです。

母とはわがままを聞いてくれる、受け止めてくれる、そして、その上で深層意識的には、厳しい、生殺与奪権(生かすも殺すも思いのままできる権利)を持つような存在なのです。

 

ルース・ベネディクト

1book.biz

 

西欧では、子どもを早くから自立させようとします。

心理学のフロイトの次に有名なユングは、人の心には誰にも太母がいて、太母他対決、もっと言うと太母殺しをしなければ、自立できないと、といいます。

日本では、この太母殺しができない、つまり母親との自他分離ができない、または、はっきりしない、といわれています。

この分離の不完全性は、日本の兵士が最期に「お母さん」と言って死んで行ったことからもわかります。

 

日本は多神教国家といわれていますが、日本の兵士が最期に「お母さん」と言って死んで行ったのはなぜでしょう?なぜ「神様、仏様~」といわなかったのでしょうか?

 

調べたことではないのですが、西欧人はキリスト教徒が多いと思いますが、きっと死ぬ前には、イエス・キリストの名を呼ぶのではないかと思います。もちろん、「お母さん」と呼ぶ方もいるでしょうが・・・。

 

西欧に比べて、日本は母子の密着度が高い民族だと思うのです。

 

日本独自の福祉観とは?

 

人間は機械と同じか?

1620年にイギリスのフランシス・ベーコンは「知は力なり」と言って、事実の基づく科学を進めようとしました。

知は力であり、人間や自然を含めて、みんな機械のようにみなしていいのではないかという考えです。

いわゆる人間機械説です。

 

フランシス・ベーコン

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知力は私たちの生き方や暮らしを良くも悪くもします。

金力や権力に結びついています。

知力は建設と破壊を意味します。

 

人間も機械であり、役に立たない機械は捨てる、という思想。

優生思想のところで述べましたように、「働かざる者、食うべからず

資本主義社会において、働かない者、働けない者は社会的な成員とは認めないという思想。

 

この二つの思想が弱者にどのような影響を及ぼしたでしょうか。

 

最首氏は、日本の福祉の考え方に欠かせない人物が内村鑑三だと言っています。

彼はアメリカで約7か月、「白痴院」で働きました。

「白痴院」と歯、知恵遅れの子どもたちを収容していた施設のことです。

 

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彼は次のような言葉を書き留めています。

人間の廃物・人類中の廃棄物・社会の廃棄物・社会の妨害物・下劣のアメリカ人

この言葉からわかるように、彼は子どもたちへの至誠と蔑視が共存していたと思われます。

 

「中国や日本では障害のある子どもが街の中を走り回っている。でもアメリカでは娘と一緒に暮らせない。」と、パールバックは嘆いています。

 

内村鑑三の社会から隔離した施設の福祉観は日本に定着しました。

そして太平洋戦争後、近江学園、びわこ学園を創設し、戦後日本の障害者福祉を切り開いた第一人者と言われる糸賀一雄は、「この子らを世の光に」という本を著しました。

内村鑑三糸賀一雄の至誠を疑うことはできません。

 

しかし、最首氏は、当事者を立てる水平型の福祉観への模索は、今、進行中といっても過言ではないと言っています。

 

日本独自の福祉観とは、障害者も介護する人も平等な社会だと思います。

最首氏の言われる、水平型の福祉とは、差別のない、生かし、生かされる社会だと思うのです。

 

では今日も1日前向きに!!