90 差別と平等について(3)
日本の風土とわたし
風土は人の心や性格や、人と人の関係のあり方に深くかかわってきます。
人々が暮らす共同体では、長い年月をかけて知恵を出し合って社会を作ってきたわけで、その知恵が人が使う言葉に表れてくるのは当然だといえます。
「目には目を、歯には歯を」とは、人が誰かを傷つけた場合、その罰は同程度のものでなければならない、もしくは相当の代価を受け取ることでこれに代えることもできる、という意味です。
では、殺された場合はどうするか?というと、本人はもういないので、代わりに主として身内が相手を殺すということになります。
江戸時代には、殺された武士の身内の仇討という形で、義務としての報復がありました。
日本の風土の中にも、同害報復という考え方があると思いますが、過剰な報復が続けば、社会は成り立たなくなると思います。
これをなくすために法律があり、それが、過剰な情念の抑制になるのだと思うのです。
日本人の特徴は「雪に耐える竹」であり、「しめやかな激情」であるといったのは、和辻哲郎※です。
※和辻哲郎
日本の風土が湿潤であることから、日本人の忍耐力が生まれてきたというのですが、いくら忍耐強いとはいっても、堪忍袋の緒が切れるときがあるのです。
湿潤な風土はウェット(情)であり、決してドライ(割り切り)ではなく、日本人はなんとしてでも理性的でなければならないという信念が希薄であるように感じます。
情に弱い傾向にあると思うのです。
客観と主観
情は主観的だとすると、客観的とは?
理、つまり論理的ということです。
客観的というと、他人事のように見なしたり、考えたりすることを現します。
ところが、他人事のように考えていたことが、まわりまわって自分が関係していることに気づくという事もあります。
公判で、なぜ植松青年がこのような行為をしたのか?
を客観的に事の次第を追って行こうとしている時に、前後の見境なく、事の善悪なく、何が何だか皆目わからずに事に及んだ、という主張がなされたとします。
当然ながら、なぜそんな状態になったのだ?という疑問が起こります。
この疑問を解消しない限り、大きなしこりが残るので、事の次第を明らかにするのが公判です。
現代・子どもの親による虐待や、家庭内DVの夫、父親の問題がますます増えています。
なぜこんな社会になってしまったのでしょうか?
この社会現象や、植松青年がした事の次第を明らかにすることが、今後、日本がもう一度、日本らしい社会を構築するカギになるのではないかと思っています。
では今日も1日前向きに!!