89 差別と平等について(2)
序列をこえた社会に向けて
やまゆり園事件最首悟さんの手紙
最首氏の手紙42通を読んでみて、私が感じたことは、私たちの社会には「優正思想」※が根強く存在しているということ。
人を生産性のある人、ない人で見てしまうこと、生産性のない人は価値のない人、と思う傾向にあるということです。
根底には、「働かざる者、食うべからず」という考え方は近代社会の鉄則です。
※優生思想
が、しかし、人間は1人では生きていけないのです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、母親のお乳(人工乳)がなければ死んでしまう。
親もまた、そういう赤ちゃんによって生きる喜びを感じることができる。
人はお互いに持ちつ持たれつ生きている。
日本人は特に、あなたという名称を数多く持っている国民だというのです。
英語なら、あなたは 「YOU」しかないが、日本語では、あなたのことを、面白いことに「自分」と言ったりもします。
あなたと私が近づきすぎて混同してしまった言い方です。
これは日本人の対人関係の基本は「あなたとわたし」であり、気遣いや忖度なしには成り立たないということです。
日本人は「ノー」ということができないとよく言われますが、「ノーといえない」のではなく、「ノーと言わない」のだと思っているところがあるのです。
自分の気持ちだけでなく、相手を傷つけないようにするのです。
「わかりません」「何とも言えません」では直接過ぎるので、表情や言葉の抑揚や口ごもるなど、積極的に「ノー」とまではいかないことを伝えるのです。
このように困るような質問をしてはいけないことを相手も自分も学習してきたのです。
そしてそもそも直接聞いてくるような人を敬遠したいという心性を育ててきました。
戦後フランスにずっと住み、日本のことを考えた森有正※という哲学者がいます。
※森 有正
彼は、このような、あなた優位で自分がしっかりしない日本人のあり方を、「あなたのあなたとしての私」と表現しました。
そして、日本人は世界の紛争の仲介役になれる希少な糊のような存在だとも付け加えました。
日本人は人間関係だけでなく、関係を保つ根本に、相手の身になる、あなたファーストがあることが大事だと言っています。
日本語には、主語がない、とよく言われますが、それは「わたし」とは自己、自我が確立し、自立した存在を大文字の「I」とすると、日本人である「わたし」はどうも「I」ではないのではないか?
西欧では、「わたし」が「I」であるのに対して、なぜ日本人はそうではないのか?
それは風土に原因があるのではないか、という疑問です。
最首氏のこのような考え方は、西欧と日本では、もともと考え方に違いがあり、良いか悪いかは、別にして、日本独自の考え方が現代の日本人の深層心理(無意識※と言っていいのかもしれませんが・・・)に根強く残っているのではないか?と問いかけているような気がしたのです。
※無意識
私は戦後生まれで、欧米、特にアメリカの思想が強く乱入してきた教育を受けてきたのですが、やはり「ノー」と即座に答えられないのです。
両親の教育や、周りの私を育ててくださった方々の支えがあって、自分が今ここにいる、と思うからです。
自立していると思っていても、それは西欧の言う、真の「自立」ではないと思いました。
日本人独特の「自立」があると思うのです。
次回は、日本人を作ってきた「風土」について、考えていきたいと思います。
では今日も1日前向きに!!