88 差別と平等について(1)
令和3年ブログを初めて
2018/9に乳がんステージⅣと診断されて、自分の遺された時間がそう長くはないと知り、死ぬ前に今自分の言いたいことがたくさんあることに気づきました。
がんサバイバー、薬剤師、子供を持つ母親として、伝えておきたいことがあるのではないかと思い、2021/2/12に始めたblogを、No86まで一気に進めてきました。
伝えたい一心で書いたblogですが、書いているうちに、段々と何かネタを探している自分に気付きました。
体の中からほとばしるように出てきたものが、だいぶなくなってきたような気がしています。
もちろんこの世の中に言いたいことはまだまだたくさんあるのですが、最初のころとは気持ちが違うのです。
今年からは、もう少し時間をかけていろいろな問題に意見を述べていきたいと思うようになりました。
相模原障害者施設“やまゆり園”殺傷事件
昨年の年末、NHKで相模原障害者施設“やまゆり園”での殺傷事件のドキュメンタリー
「ともに、生きる」~障害者殺傷事件2年の記録~
2018/7/21放送の再放送を見ました。
2016/7/26に起きたこの事件は、私たちにとって衝撃的な事件でした。
2020/3/16の裁判で死刑判決が下され、被告が控訴しなかったため、同年3/31に死刑が確定しました。
和光大学の名誉教授で、社会学、生物学、評論家、思想家である最首悟氏は、ダウン症で知的障害のある星子さんとご夫婦の3人で暮らしています。
最首氏は2018/7から今日に至るまで、被告だった植松聖、その後死刑囚となった植松聖に毎月手紙を送り続けています。
そしてそれを神奈川新聞に下記のような題で公表しています。
序列をこえた社会に向けて やまゆり園事件最首悟さんの手紙
2021/12で42回、42カ月、3年を超えています。
最首氏は最初は朝日新聞の依頼で事件に対するコメントを求められたそうです。
「八つ裂きにしてやりたい。」
最首氏は植松聖のことを植松青年と呼んでいます。
今まで面会したのは2回、そして2回目の面会時に植松青年から、
「八つ裂きはひどいんじゃないか。」
といわれたそうです。
新聞を読んだのか、誰かに聞いたのでしょう。
最首氏も自分で言っておいて、ひどいと思うと答えたそうです。
初めて両者の意見が一致して、最首氏は植松青年は聞く耳を持っていると判断したのでしょう。
それからこの手紙のやり取り(植松青年からは2回?しか返事はなかったそうですが・・・。)が始まりました。
植松青年からの返信には、
「星子さんは人間ではない。」
「大学で教え指導する身とあろう者が、年金を食う、IQ20以下の心失者と一緒に暮らすとは、いかにもひどい。」
「奥様はどう考えているのでしょう。聞く必要もありませんが、今も大変な面倒を押しつけていると考えております」
と書かれていたそうです。
最首氏は手紙の中で、このことにとても丁寧に答えていらっしゃいます。
この手紙は、重度の知的障害のある娘を持つ父親から、被告その後死刑囚の背後にある障害者への差別や偏見が根強く残る社会に向けたメッセージです。
最首氏は、植松青年は自分のしたことを反省していないとも書いています。
死刑囚となってからは、拘置所から手紙の受理拒否をされたことを機に、返信という形で最首氏の思いや考えの伝達は切り上げようとも考えられたそうですが、植松青年という呼びかけに含まれる意味合いから、返信を続けていくことにしたそうです。
最首氏はこうも述べています。
植松青年と私たちが共通する面とは、みなさんや私の中に、植松青年がいるということであり、ひょっとすると奥深く植松聖が潜んでいるのかもしれないと思うのです。
私もこの事件は決して許されないことだとは思いましたが、その理由を説明できるか?と問われると、どうしても説明することができなかったのです。
私の中に植松聖が潜んでいることをはっきりと知った瞬間でもありました。
この事件を題材にして、これから「差別と平等」について最首氏と一緒に考えていきたいと思います。
では今日も1日前向きに!!