ブルシット・ジョブとは?
『ブルシット・ジョブ』(Bullshit Jobs:A Theory)は、アメリカ人人類学者のデヴィッド・グレーバーによる2018年の本で、無意味な仕事の存在を仮定し、その社会的有害性分析している。
くそどうでもいい仕事のことです。
当人もそう感じているぐらい、まったく意味がなく、有害ですらある仕事であること。
しかし、そうでないふりをすることが必要で、しかもそれが雇用継続の条件であることである。
キツくて条件の劣悪な仕事ではない。
なぜならば、その仕事は世の中の役に立っていることが多く、当人もそう感じていることが多い。
まさにブルシット・ジョブとは反対なのです。
著者が言うように、「その労働が他者の助けとなり、他者に便益を提供するものであればあるほど、そしてつくりだされる社会的価値が高ければ高いほど、おそらくそれに与えられる報酬はより少なくなる」
英国の調査では、自分の仕事がブルシット・ジョブだと思っている人が、37%もいるとのこと。
エッセンシャルワーカーとは?
人が社会生活をするうえで必要不可欠なライフラインを維持する仕事の従事者をいいます。
新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、多くの人が自粛生活を送っていたなか、感染リスクと戦いながら働き続ける人々への感謝と敬意をこめて、こう呼ばれるようになりました。
医療、教育、介護、保育、私たちの移動を手伝うバスの運転手や、ゴミの面倒を見てくれる収集作業員など、直接的に「他者をケアする」仕事をしている人々のことである。
昔は製造業が主流だったのが、今日の労働者階級の多くはこれらの業界で働いている人なのです。
先日医療従事者のワクチン接種が優先されたときに、東京の医療従事者が600万人いると知って、びっくりしました。
まさにキツくて条件の劣悪な仕事のことでしょう。
そしてそれは「その労働が他者の助けとなり、他者に便益を提供するものであればあるほど、そしてつくりだされる社会的価値が高ければ高いほど、おそらくそれに与えられる報酬はより少なくなる」
現代このような仕事についている人たちのことを、ケア階級とかキーワーカーというそうです。
今やこのキーワーカーなくして、生活は成り立たなくなっています。
不要不急とは?
私の人生は、不要不急?
といっている養老猛さんの話は面白い。
ブルシット・ジョブとは思っていないでしょうが、自分の仕事が、不要不急の仕事なの?と思っている人はたくさんいると思います。
ケア階級の人は何の疑いもなく、今必要な仕事だと胸を張って言えるのでしょうが、自分の仕事が不要不急な仕事なのかどうか、このコロナ禍で悩んだ人は多かったでしょう。
例えば芸術の分野に携わっている人々、活動範囲が限られてしまったか、全く仕事がなくなってしまった方、みんなどう考えているのでしょう?
不要不急かどうかなんて、他人が決めることではないと思います。
その人にとってどうなのか?それぞれがどう考えているのかが大事なんだと思います。
音楽や絵画、映画やお芝居のない世界を想像してみてください。
豊かな毎日とは思えない、殺伐とした毎日を過ごさなければならないでしょう。
コロナ禍が教えてくれたことは、自分の仕事が他者の助けとなり、他者に便益を提供するものであり、そしてつくりだされる社会的価値が高い仕事であるかどうか?ということを考えさせてくれたのではないでしょうか?
収入は低くても、決してブルシット・ジョブではなく、不要不急ではないと思えることが、その仕事を継続してやっていける自信になるのではないでしょうか?
では、今日も1日前向きに!!