一寸先はヤミがいい

〜薬剤師ガンサバイバー 今日も前向きに〜

37 東京というところ(10)

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東京弁(下町言葉)

私が子どものころは、東京弁が会話の中にふんだんにあったような気がします。

私は下町育ちなので、下町言葉です。

 

有名なのは、「ひ」と「し」の発音がめちゃくちゃになってしまうことです。

潮干狩りは、ずっと「ひをしがり」だと思っていました。

火鉢は「しばち」だったし、東は「しがし」だった。

 

また、「ねえ」というのも多かった。

例えば、「そうではない」を「そうじゃねえ」というように、最後にねえを付ける。

もちろん、男性の言葉ですが・・・。

「ちゅう」とか「ちゃった」という言葉もありました。

「~のようなことがあった」を「~ちゅうことがあった」

「だっちゅうーの」がはやった時期がありましたが、何か懐かしい気がしたことを覚えています

「~した、~見た」は「~しちゃった、~見ちゃった」

 

良く言われる「~じゃん・~じゃんか」というのは下町言葉ではないと思います。

これは三河方言かもしれませんね。

 

江戸時代に使われていたのではないかと思われるような

「あっしゃ:自分のこと」「するってえ~と」「そんでもって」をよく使う寿司屋の主人が近くにいました。

 

こんな下町言葉は、今では落語の世界にしかないと思えるくらいに使う人がいなくなりました。寂しいものです。

 

「下町言葉」に対する「山の手言葉」があります。

江戸の上層武家が日常用いた言葉を基盤に、明治時代に成立した言葉です。

ごきげんよう」「ざあます」「あそばす」など、山の手(麹町や番町)に住む夫人などの間に広まった丁寧語です。

こういう言葉を使う人々は、お金持ちと決まっていました。

ドラえもんスネ夫のお母さんですね。だいたいさきのとんがったメガネをかけています。

 

東京弁と言われる言葉は、もともと江戸には人があまり住んでいなかったところに、江戸時代になっていろいろな地方から人が集まることで、様々な方言の影響を受けていると言えます。

 

当時の中央語であった上方方言(主に京都方言)や徳川氏ゆかりの三河方言など西日本方言の要素が多く混合したようです。

町人や武家など階層別に様々な言葉遣いの違いが生まれ、東京方言は周辺の関東方言から孤立した言語島となっていきました。

 

江戸方言は、上方から取り入れた敬語の体系を発達させるなど洗練を深め、江戸時代後期には京都方言に代わる中央語としての地位を固めていきました。

 

標準語(共通語)

明治維新以降、日本の首都が京都から東京に遷ったことで東京方言は首都の言葉として位置づけられ、文芸活動を担う口語文体の基盤となり、近代国家を支える標準語として整備されていきました。

 

学校教育による共通語の普及により、共通語を基盤に関東各地の方言が混合して新しく形成された首都圏方言が主流になっています。

 

発音・アクセント・表現方法に東京弁をベースに作られたのですが、現在は、地域の曖昧化、関東大震災東京大空襲による旧来住民の減少、地方出身者の大量流入(特に戦後高度経済成長期)などにより、東京における言語事情はかなり変質してきています。江戸言葉はもちろんですが、明治時代の標準語成立に大きな影響を与えた山の手言葉も消滅寸前まで追い詰められているのが現状です。

 

昭和30年代の下町は、特に東北地方からの人口流入が多かったためか、東北弁を良く耳にした覚えがあります。今ではみんなが標準語(共通語)を話すので、出身地を当てることが難しくなってきました。

 

もっと自分の出身地の言葉を話してほしいと思います。

 

では今日も1日前向きに!!