57 遺伝子情報と倫理(1)
出生前診断:新型出生前診断(NIPT)
最近、高齢妊娠・高齢出産が増えている中、生まれてくる赤ちゃんの染色体の疾患を心配するカップルも増えています。
出生前診断の倫理的問題については、正解がなく議論が絶えません。
生命倫理の4原則というのがあります。
本来は「出生前に胎児の状態や疾患を調べることで、最適な分娩方法や療育環境を検討すること」が出生前診断の主な目的です。
しかし、出生前診断を受ける多くの人が赤ちゃんを「出産するかどうか」を決めるために出生前診断を受診しているのが実情のようです。
では、一体なぜこのようなことが日本では起こっているのでしょうか?
中絶に関する日本の法規範は、刑法の堕胎罪と母体保護法(旧:優生保護法)が関係しています。
現行の刑法では、母体の状態にのみ言及し、胎児の状態には言及していません。
また、母体保護法では、合法的中絶には、医師の認定、夫の同意、妊娠満 22 週未満という条件を満たす必要があるとされ、事実上、妊娠満 22 週未満という条件しか機能していません。
近年、母体の血液を採取して行うスクリーニング検査(無侵襲的出生前遺伝学的検査、NIPT)が可能になり、話題になりました。
NIPTでは、13トリソミー症候群、18トリソミー症候群、21トリソミー症候群(ダウン症候群)の3つの染色体疾患を発見できます。母体の血液のみを採取するため流産のリスクはなく、「新型出生前診断」として有名になりました。
NIPTは、胎児の命を脅かすおそれはありません。
高齢出産では先天異常のリスクが高まるという情報は広まっているので、軽い気持ちで検査を受けてみようかと考える夫婦もいるかもしれません。
しかし、実際に検査結果が出たときのことを真剣に考えてみると、産むか産まないかの葛藤を避けることはできないでしょう。
法律的に言えば、胎児に先天異常があるとわかった場合、妊娠22週未満であれば、人工妊娠中絶をするという選択肢をとることは可能です。
先に挙げた年間18万件以上の人工妊娠中絶のうち、ほとんどは「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に基づいて行われていますが、この条文の解釈は医師の判断に任せられています。
いまの日本では、人工妊娠中絶をしたいと決めた夫婦は、ほとんどの場合、法的責任を問われることなく中絶手術を行うことができるのが現状です。
しかし、両親が病気や障害をもつ可能性の低い子どもを選ぶこと、いわゆる「命の選別」は果たして許されることなのでしょうか。
事態をさらに複雑にしているのは、「現在妊娠している子を産むかどうか」という問題に加えて「今妊娠している障害のある子と、その子を中絶した後に妊娠するかもしれない健康な可能性のある子とどちらを選択するか」という問題も発生するという点です。
障害のある子ではなく健康な子を選択することは、例えばいま障害をもって生活している人からすれば、差別的な行為にも映るでしょう。
しかし、特に高齢出産の場合、障害をもつ子を自分たちは無事に育てられるのか、幸せにできるのかといった不安を抱くのもまた自然な感情であるようにも思われます。
出生前診断の技術が進歩しつつあることで、このように思い悩む夫婦は更に増えるのではないかと予想できます。
これらの結果があなたとあなたの妊娠にとって何を意味するかを理解するために、かかりつけの医師や遺伝カウンセラー※のような専門家に相談することが重要です。
※がんなどの疾患や先天性の心疾患・障がいなどに悩む患者の相談を受けて、遺伝的な原因の有無を調べ、 遺伝子・染色体検査に関する情報を提供したり、心理的、社会的なサポートを行ったりする仕事のことです。 主に病院や診療所、大学などに勤務して、臨床遺伝専門医との連携により業務にあたります。
遺伝子検査の受検や遺伝子情報の取り扱いには多くの倫理的な課題が含まれるため、正しい知識、メリット及びデメリットの理解が必要だと考えています。
今回は重たい問題について書いてみましたが、みなさんはどうお考えになるでしょうか?
では、明日も1日前向きに!!
56 薬剤師あるある(6)
患者さんにとって理想の薬剤師とは?
患者さんが思う薬剤師のイメージは
- 薬剤のプロとして、処方箋の調剤を行うのはもちろん、医師よりも患者の生活に一歩近い立場で様々な相談に乗ってくれる。
- 薬のプロで、黙々と調剤している。
- お薬をきちんと管理しながら、患者さんのために調剤してくれる。
- 調剤と服薬指導のスペシャリスト。
さらに、薬剤師について感じることというアンケートを取ると
- 患者さんの病気を知った上でその薬について説明してくれる薬剤師さんが増えていると思う。
- 内服回数・量など、丁寧に説明してくれるので、有難い。
- 薬の説明だけでなく、生活上の注意もプラスしてくださると、医師による指導の相乗効果が高まる気がする。
- 医師の処方箋には逆らえないと思うが、薬剤師としての意見も聴きたい時がある。
- 病気そのものや個人までの関心が広い薬剤師さんは少ないかもしれない。
- もっと気楽に話しかけてくれてもいいのにな~と思います。
このことは、患者さんに寄り添った、臨機応変の対応の必要性と、患者さんの生活を知ったうえでの服薬指導(服薬で困っていることを聞きだす)や、なぜこの薬がこの患者さんには必要なのかを患者さん目線で説明できる能力の必要性を、薬剤師に求められているのだと感じました。
また、ジェネリック薬品が体質的に無理な患者さんもいること、
何もアプローチしてこない薬剤師が多くいること、
副作用について上手に説明できる薬剤師になることが求められていると思います。
薬剤師が在宅支援をすることが多くありますが、家に入るとびっくりすることが多いです。
残薬がないといっていたおばあさんの戸棚から、大量の残薬を見つけたり、
ちゃんと飲んでいます!といっていた患者さん自身で薬の管理ができていなかったり、
これなんの薬?と長年服用している薬の効能を知らなかったり・・・
患者さんは一般的にお医者さんにはあまり本当のことを話したり、疑問に思うことを質問したりできないのではないかと推測しています。
薬剤師は、いつでも何でも相談に乗ってくれる人と言うイメージを持っていただかなくてはならないと感じています。
あなたと話すと薬のことがよくわかるわ!とか、なんか元気になってくる!と言われると、私たちはこの上なくうれしくなります。
医師によっては薬剤師の提案を聞いてくださる先生も多くなり、大変うれしく思っています。昔は何か提案して、良く怒られたものです。
なぜ医薬分業が進んだかと言えば、薬剤師は医師の処方箋のチェック(薬の選択、量など)や医師に患者さんの生活や服薬情報(残薬があるか?ちゃんと服用できているか?)を提供するためです。
薬剤師は薬のプロであるという自覚が必要になってきます。そのために常に勉強(薬の生理活性や薬物動態学、新薬や病態など)を続けていかなければならないと思っています。
医学の進歩は目覚ましいものがありますが、まだまだ知らない病気や、病気と診断されずに1人で悩んでいる患者さんもたくさんいると思います。
希少・難治性疾患とは?
患者数が非常に少なく有効な治療法が存在しない難病(難治性疾患)を、希少疾病と言います。
厚生労働省はこの希少疾病を「対象患者数が本邦において5万人未満であること」と定義しています。
このような希少疾患は世界に7,000種類以上あり、日本での患者数は750-1,000万人であると言われています。
難治性疾患とは、難病(厚生労働省が認定)ではなく、もっと一般的な意味で、「治療が特に難しく、病状も長く続いて日常生活の負担が大きい病気」のことです。
この病気の方は、自分しかわからない症状を言うことしかできず、気のせいじゃないの?とか怠けてるんじゃないの?と思われることがあり、また患者数が少ないことで診断されるまでに時間がかかるという二重苦を強いられています。
早めに正しい専門医にかかることが必要ですが、医師も知らない病気かもしれないので、難しいです。
また診断されたとしても、治療法が確立されていないことも多く、症状を緩和するだけに薬を服用している患者さんも多くいます。
早くオーファンドラッグ(患者数が少なく、治療法が確立していない難病に対する希少疾病用医薬品)が数多く開発されることを望んでいます。
私たち薬剤師も、このような患者さんがいることを想定して、薬のこと、生活のこと、悩みを聞く姿勢が大事だと思っています。
何よりも患者さんが、毎日どのように生活しているかに想像力を働かせて、こちら側からわからないことを教えてもらう姿勢が大切だと思っています。
今まで患者さんから教えてもらうことで、ずいぶんいろいろな事がわかってきました。
私たちは自分で病気にならない限り、自分の身体のことで医師と話すことはなく、検査を受けることもないので、患者さんに病気のこと、検査のこと、病院のことなど聞くことがとても参考になります。
皆さんもいつ自分の身に起こるかもしれない病気のこと、知ってみませんか?
では今日も1日前向きに!!
55 人間にとって幸せとは?
幸せは内在的なもの、感じるもの
以前にも書いたのですが、日本の幸福度ランキングは、世界56位だそうです。
都道府県ランキング2021年度は2年連続1位だった宮崎県を退け、沖縄県だそうです。
なぜ日本人は、自分が幸せだと感じている人が少ないのでしょうか?
幸せな人生を目指して、努力を重ね、多くを手に入れたにもかかわらず、心の底から幸せだと感じられない。そして、自分が本当に望んでいた人生とはかけ離れていることに気づく。
そんな人が多いのではないでしょうか?
幸せとは手に入れるものではないと思うのです。
幸せというものはないからです。
幸せと自分が思うかどうかは、自分の内、心にあるからではないでしょうか。
いい時も悪い時も、その現状を受け入れて、自分からその現状に適応していくことこそ幸せを感じることができるのだと思うのです。
苦しい時、幸せを感じる人はいないと思いますが、そこから抜け出したとき、その現状をしっかり自分で受け止めて対処(適応)できたとき初めて幸せだと感じることができるのではないでしょうか。
なぜ現代の日本人は幸せと感じにくくなっているのでしょうか?
「脱亜入欧」という言葉を知っていますか?
明治維新で日本が自国を否定し、欧州に習えと考えたのです。
ところが、この福沢諭吉の本意とはかけ離れて、今の教育制度が変わってきてしまいました。
「何のために学ぶのか」が見えないまま、立身出世するために受験をする構造は、このように明治のはじめからできあがりました。江戸時代から続く朱子学の考え方を武士だけでなく庶民にまで広げたのが明治政府でした。
私たちは物事を知る、経験する、考えるという一連の流れ(順番はどうでもいいと思いますが・・・)を体験することによって人間としての成長があると思うのですが、明治維新に始まった教育は、受験に打ち勝つために、良い点数を取ることだけに集中し、学ぶことの意味や、体験することの大切さ、考えることを置き去りにしてきたのです。
子どもたちは自分で人生の幸せとは何か?を考える暇もなく、いかに良い点数を取ることだけに集中させられてきたのです。
本当の幸せとは何か?
とは最も人間的な哲学的な問いであって、答えのないものです。自分で考えたあげくに自分の中に答えを出す問題なので、十分な思考力が必要であり、そのためには時間も必要です。これからのことをないがしろにして置いて、今あなたは幸せですか?と問われても答えようがないと思います。
㉞で書いたように、渋沢栄一の「論語と算盤」は、このことを良く表していると思います。
商売をするからには、道徳を忘れてはいけない。
商売は自分の利益のためではなく、国民全体の幸せ、より良い社会の実現のためにするものでなくてはならないと教えてくれています。
つまり社会生活において、道徳、つまり哲学が最も重要で、常に人間の幸せを実現していく方向に動かなければいけないのです。
今からでも遅くないと思います。
子どもたちの教育を見直すべきではないでしょうか。
では今日も1日前向きに!!
54 薬剤師あるある(5)
鼻涙管閉塞(又は狭窄)症
私の高校時代の友人は、高校の時から、涙が止まらない人でした。
悲しくもない、大笑いしたわけでもないのに涙が止まらなかったことを思い出します。
薬局に勤務して、眼科の病気で、鼻涙管閉塞(又は狭窄)症という病気があることを知りました。
また、それには先天性と後天性があるのだそうです。
涙が止まらないということは、何でもない人にとってはそのつらさがわからないでしょうが、常にハンカチやティッシュで目を押さえないといけない煩わしさがあり、若い女性にとってはアイメイクができないといった大変さがあります。
ここで、涙道といっているのは、目元から鼻に抜ける涙の道のことです。
涙腺は目尻の上のほうにあり、常に涙を放出していて、それが涙道に入るので、私たちの眼を乾燥から守ったり、雑菌を洗い流したりしています。
涙は1分間に約0.001〜0.002cc(1~2μℓ)が出ています。
1回の瞬きで約0.002ccの涙が鼻のほうに流れています。
1日の涙の量は大人で約0.6~1cc、子供で約1.35ccで、
1粒の涙の量は約0.2ccと言われています。
うまく涙道に涙が入らないと、目の中に涙があふれ、外に出る場合もありますが、老化してくるとそもそも涙の量が少なくなり、目の中に涙が停滞して、殺菌が繁殖して目やにが出るようになります。
先天涙道閉塞(せんてんるいどうへいそく)は生まれつきの涙道の閉塞です。
鼻性鼻涙管狭窄(びせいびるいかんきょうさく)は鼻炎や副鼻腔炎により鼻涙管が狭窄するもので、症状は先天涙道閉塞と似ていますが、閉塞ではなく狭窄ですので、涙道に水を通すと鼻まで流れます。
治療法
閉塞か狭窄かによって治療法が違います。
先天涙道閉塞の場合
- 経過観察・・・自然治癒することがあるため。
- ブジー処置(先天性鼻涙管閉塞開放術)
- 涙間チューブ挿入術
- 涙嚢鼻腔吻合術(るいのうびくうふんごうじゅつ)DCR
これは鼻涙管の上部で袋状になっている部分【=涙嚢】の内側の粘膜と骨を削り、涙嚢から鼻腔にバイパスを作る方法で、部分麻酔を使用し、時間はあまりかかりませんが、骨を削るのですから、びっくりするかもしれません。
鼻性鼻涙管狭窄の場合
耳鼻科で根気よく鼻炎治療を続けていくことが必要で、もし良くならない場合は、上記の③涙間チューブ挿入術 か ④涙嚢鼻腔吻合術(るいのうびくうふんごうじゅつ)DCRの手術を受けることになります。
狭窄している時間が長いと、涙嚢が固まってしまい、涙道が通らなくなる傾向があります。
チューブを入れても、涙嚢鼻腔吻合術を施術してもまた通らなくなってしまう人もいます。
そうならないためにも予防の点眼薬と点鼻液の使用は必須です。
もともと涙道が狭い方もいて、そういう方は涙嚢炎(涙を溜める涙嚢(るいのう)という目頭に位置する器官に炎症が生じること)を起こしやすいともいわれています。
また、鼻と目はつながっていますので、結膜炎や蓄膿症、ポリープなどが原因として挙げられます。
映画などで大泣きした後に鼻水がどっと流れるシーンを見ることがあるかと思いますが、その俳優さんは健全な涙道をお持ちです。
映画やドラマの見方も違った方向から見るとおもしろいでしょう。
では今日も1日、前向きに!!
53 2020東京オリンピック・パラリンピック
とうとう、開催されましたね!!
個人的には、私は開催に反対でした。
なぜなら、緊急事態宣言下なのに、なぜ開催できるのか?意味が分からなかったからです。
- 無観客で開催すれば、みんな家から出ないで、おとなしく家でTV観戦するから、感染者が少なくなるから?
- 復興五輪だから、何としても開催したいから?
- 中止したら、莫大なお金を支払わなくてはならないから?
- コロナ禍で政府に向けられた怒りを抑えられるから?
- 4年間(正確には5年間)この日のために頑張ってきたアスリートたちのため?
- オリンピック開催することで経済効果が期待できるため?
これらのことは私たちにはなぞのままですが、確実に言えることは、世界一コストがかからないはずの五輪は、ぶっちぎりで世界一コストがかかった五輪となったということでしょう。
オリンピック開催以前にいろいろな事があり、明らかな嘘が許されているという異常な事態ですが、そのツケを払うのは日本の市民なのです。
アスリートにとっても良かったのかどうか悲喜こもごもだと思います。
メダルの取れた選手はもちろん開催してよかったと答えるでしょうが、調整がうまくできなかった選手にとってはつらいものだったかもしれません。
史上最高のメダル獲得数、ということで今回の五輪を成功としてしまうことには問題があると思います。
オリンピック組織委員会をもっとクリーンなものにしていくことが大事だと思っています。
これからコロナ感染者は確実に増えて行くでしょう。
バブル方式も徹底していなかったことを考えると、オリンピック組織委員会が五輪開催をどうしてもしなくては行けなかった理由があるとしか思えません。
オリンピックは8/8に閉会しましたが、今回のオリンピックで印象に残ったことは、オリンピック以前に金メダルとかメダル候補としてマスコミに取り上げられていた選手たちが、大多数メダルを取れなかったことです。
そしてあまり注目されなかった10代の選手たちがメダルを取っているように感じました。
体操個人総合と鉄棒で金メダルを取った19歳の橋本大輝選手は、4個目の金メダルを目指した内村航平選手の予選でのまさかの鉄棒落下という事態をもろともせず、世代交代を感じさせてくれました。
「チャンピオンは涙を流さずに常に前だけ見ていると強い気持ち。そういうのを持っていきたいと思ったので、笑ってこの試合を楽しめたというのは良かったと思います」という言葉が爽やかでした。
水泳はメダル候補と言われていた瀬戸大也選手は今回は全く振るわず、200m・400mの個人メドレーで金メダルの大橋悠依選手、200mバタフライで銀メダルの本多灯選手で終わりました。
池江梨花子選手は大病からの驚異的な復帰でしたが、オリンピックに出場で来たものの、まだまだ体力は元に戻っていなかったように思います。
それにつけても柔道はすごかった!!やはり迫力がありました。
阿部一二三・詩兄妹の金メダルは執念で勝ち取ったとしか言いようがないほどの迫力でしたね。
柔道は今回のオリンピックに調整がうまくできていたといえるのではないでしょうか。
サッカーはメダルに手は届きませんでしたが、毎回楽しみに試合を観戦していました。
最後の久保選手の涙に、選手たちの悔しさが凝縮されていました。
開会式・閉会式は日本らしさが感じられましたが、最初の演出チームが次々に交代、辞任も相次ぎトラブル続きでしたが、滞りなくできたことに拍手を送らなければならないでしょうか?
開会式の入場式で流れた音楽は、「ドラゴンクエスト」(ドラクエ)のテーマ曲でした。
作曲者は「ゲーム音楽生みの親」とも呼ばれる、すぎやまこういち氏ですが、以前にLGBT(性的少数者、もしくはLGBTQ)差別発言をしたことを考えると、森喜朗氏、佐々木宏氏、小山田圭吾氏、小林賢太郎氏が辞任したことの理由と矛盾すると思います。
古関裕而さん作曲の「オリンピック・マーチ」のアレンジバージョンが流れたときは、1964年の前回の東京オリンピックを経験したものにとっては懐かしく、やっぱりいい曲だと思わせるものでした。
またメダリストに送られるブーケには、トルコギキョウ(福島県産)、ヒマワリ(宮城県産)、リンドウ(岩手県産)、ナルコラン(福島県産)、ハラン(東京都産)が使用されています。
トルコギキョウは福島県が県ぐるみで生産に取り組んでいる花です。
震災による影響で農作物の出荷が減った当時、特定非営利活動法人(NPO)を立ち上げ、花を栽培することで復興への希望を見い出しました。
宮城県では、東日本大震災で子どもを亡くした親たちが、子どもたちが避難するために目指した丘にヒマワリを植えました。
そしてその丘には毎年ヒマワリが咲くようになったそうです。
絵本にもなったこの話ですが、宮城県のヒマワリはそうした被災者たちの思いも込められている花と言えます。
リンドウは岩手県を代表する花です。
日本で出荷されているリンドウの半分以上が岩手県産のもの。
東京2020エンブレムと同色で、藍色の美しい花を咲かせます。
ブーケを彩る3つの花にはこうした意味合いがあり、今回使用されることになったのです。
前回の東京オリンピックのような国民全体の盛り上がりがなかった中での無観客で行われたオリンピックでしたが、それを暗示するように国立競技場の椅子はカラフルで無秩序に並べられていて、あたかも観客が入っているように見えたのは、最初から無観客を暗示していたのかもしれませんね。
では、今日も一日お元気で!!
52 コロナ禍の結婚式
沖縄の結婚式
先日、結婚式に出席するため、沖縄に行ってきました。
何しろ、1年半前、まだコロナが世界的に問題になる前に計画し、コロナ禍で2度の延期を余儀なくされた末にやっと実現した結婚式でした。
コロナ感染を心配し、台風を心配しながらの沖縄行でしたが、何とか行くことができました。
沖縄の結婚式というと、みなさんは、どういう結婚式を想像しますか?
私は「秘密のケンミンショー」で何度か見たことがあったのですが、
- 招待人数の平均は200〜300人
- ご祝儀は1人1万円で食事は大皿
- 食事はフルコースではなく大皿料理
- 新郎新婦の両親・親族が特等席
- 乾杯前からお酒がOK
- 幕上げはどこの披露宴でも必ず『かぎやで風』
- とにかく余興ではっちゃける! 特設ステージあり
- 最後の締めはやはり「カチャーシー」
※カチャーシー:テンポの速い沖縄民謡の演奏に合わせて踊られる、両手を頭上に挙げ、手首を回しながら左右に振る踊り。多くは演奏会や宴席のクライマックスとして踊られる。 沖縄方言の訛で「かき回し」という意味であり、頭上で手を左右に振るさまが、かき回すように見えるため呼び名がついた。三線の速弾きの沖縄民謡の「唐船ドーイ」が定番のようです。
① 沖縄では会社役員でも芸能人でもなく、本当に普通の一般人でも、200人〜300人の招待客なのです。
親戚の親戚、両親の職場の同僚や先輩、後輩、両親の習い事の仲間まで、会ったことない人まで呼んでしまいます。
「とにかく盛大に!お祝いごとだもの!」横のつながりが強い沖縄の、その精神がここまで大きな結婚式を行う所以になっているのでしょう。
沖縄では基本返信用は無く、口頭で参加・非参加を伝えることが多いです。
さらに、招待状を手渡しで行うことも。
近くに住んでいるのに、わざわざ郵送するより手渡しする方が早いという理由のようです。
また、参加しないけど、お祝儀をくださる方も多いようです。
② 一人あたりのご祝儀は「一万円」
相場はそうですが、新郎・新婦に相談することもあるようです。
結婚式の引き出物といえばバームクーヘン。
沖縄のバームクーヘンは、沖縄産の食材を使った「琉球」バームクーヘンです。
種類は、黒糖を使ったバームクーヘンや紅イモを使ったバームクーヘンなど。
定番のバームクーヘンと沖縄の特産品がうまく融合し、一味違った味わいを楽しむことができます。
③ 円卓のテーブルに大きな丸い台が真ん中についており、その上に大皿で料理が並べられています。
さながら中華料理のように、台を回して皆で食べますが、沖縄では中華料理のイメージというより、こちらが主流なのです。
④ 東京とは逆で、友人が一番後ろの席で、職場の同僚が中間、身内や親戚が一番前の席になるのです。
両親や親戚が一番前の、新郎・新婦に一番近い席にいるので、なんだか照れ臭くなってしまいますね。沖縄では、新郎・新婦だけでなく親族も一緒にお祝いされるからです。
そして、忘れてはいけないのが、初めにお話した、沖縄では結婚式に200人〜300人招待客を呼ぶということです。
つまり、一番後ろの友人は、前がほぼ見えなかったりします。
⑤ 飲み物に関しては、披露宴の前から振る舞われます。
そのため、披露宴が始まった時にはもう、ベロベロに酔っ払った人がちらほら……というのは珍しくありません。
⑥ 『かぎやで風』はお祝い事の一番初めに行われる、唄と踊りの古典舞踊のことです。
⑦ 沖縄式の結婚式では新郎・新婦の座るひな段の反対側に必ず舞台があります。
新郎新婦がそこから出てくるわけではなく、新郎新婦は普通に披露宴会場の扉から出てきます。
この舞台は、ゲストの方々が全力で余興を行う舞台なのです。
ここで、人々は思いっきり楽しんで余興が出来ます。
沖縄の人々は、披露宴を楽しむことこそが新郎新婦が喜んでくれると思っていますので、プログラムの中に組み込まれた余興の数も、一般的な結婚式の余興の数とは段違いです。
披露宴にもよりますが、一回の結婚式に8つや9つの余興が入ってくる場合もあります。
さらに、なんと新郎新婦がひな壇にいない間も、余興を行うのです。
それは結婚式に来てもらったゲストの方々に楽しんでもらいたいという気持ちからなのでしょうか。
⑧ 最後の締めはやはり「カチャーシー」。
カチャーシーとは、三線の音に合わせて手をひねって踊る独特なスタイルの踊りです。
カチャーシーの意味合いは「かき混ぜる」という意味があります。
そのため、喜びも悲しみもかき混ぜて、みんなで分かち合いましょう。という意味が込められているのです。
さらに、カチャーシーの最中に、気分が盛り上がると、胴上げが始まることもあるのだとか。
カジュアルな服装をしている方が多く、「かりゆしウェア」と呼ばれるアロハシャツに似た柄の服装で出席する人も最近では増えてきました。
ところが、今回はコロナ禍で、緊急事態宣言中ということで、時間は1時間半、お酒はなし、出席者は半分の160人くらい・・・と異例づくめでした。
結婚式は「仏前結婚」で、新郎は法衣と袈裟・新婦は白無垢に綿帽子で、ソーシャルディスタンスを取って親族だけで行いました。
東京からも親族含めて約20名が出席しました。
披露宴会場に入ると、まず驚いたのは、体育館ほどの大きさと両側にある舞台です。
また親族が上座でそれも両方の親族が同じテーブルに座ることにも驚きました。
披露宴は、会場いっぱいに写された沖縄らしいプロジェクトマッピングで始まり、新郎が東京の人、新婦が沖縄の人ということで、新郎が沖縄の人にサプライズ、最初の『かぎやで風』は新郎自ら三線を弾き、唄を唄い、新婦と新郎の兄妹が踊るという嗜好で始まりました。
新郎も新婦も沖縄の伝統的な染色技法のひとつである紅型で染められた「琉装」でした。
円卓の料理は大皿ではなく、コロナ禍なのでアクリル板で仕切られ、各自にお料理が振る舞われました。
コロナ禍とは言え、余興の多さにもびっくり。
また親戚が大人数なので、いくつもできる!と思いました。新郎、新婦が余興にも参加し、楽しんでいる様子がよくわかりました。
最後のカチャーシーができなかったことは残念でしたが、結婚式でのクラスターを回避するためには仕方のないことだと思いました。
また新郎・新婦の意向で、2次会もありませんでした。
また両親も楽しめるように、と最後に両親から皆様へ感謝のあいさつもなく、1時間半という短い時間が、3時間にも4時間にも思えた楽しい、披露宴でした。
東京でも昔は余興も多く、時間も長い結婚式が多かったのですが、今では少人数で、短時間でと言う結婚式が多くなったような気がします。
コロナ禍で楽しいことが少なかった毎日を吹き飛ばしてくれるような披露宴に出席で来たこと、本当にうれしかったです。
では今日も1日お元気で!!
51 新型コロナウィルスのパンデミックがもたらしたもの(3)
マルクス・ガブリエル(2)
日本人特有のコミュニケーション
日本人は先進国の中でも最も社会的に孤立しているというデータがある(ミシガン大学「世界価値観調査」)。
社会的に孤立するとは、家族、友人、同僚以外の人と会う機会が少ないということです。
日本人を含むアジア人は共同体を、ヨーロッパ人は個を尊重するという悪しきステレオタイプがありますが、この結果はこのステレオタイプを否定する社会的証拠になり得ます。
日本人特有のコミュニケーション①
日本では様々な理由でデジタルな交流が非常に普及しています。
その原因のひとつは、東京の住環境と人口の多さでしょう。
狭い面積に人がひしめく世界一の大都市です。
このような状況が人を孤立させています。
日本はおそらくもっともデジタルなインフラに対する批判が少ない国と言えるでしょう。
中国のような監視国家が国民にデジタル化を強制しているのではなく、国民が自ら進んで望んでやっているのです。
常にサイバー独裁の最先端を行っていたのです。
日本の電車のシステムは完璧ですね。
でもホームで列に並び、来たのがピンク色の女性専用車両だったら、私は別の車両へ移動しなければならない。
もしそのシステムを理解せず、従わなかったら、いわゆる白手袋の駅員がやってきて追い出されることもあります。
これが、ソフトな独裁国家ということです。
このように完璧になめらかな機能性には、ダークサイド(暗黒面)があります。
精神性や美が高まるというよい面もありますが。
日本文化は非常に発達していて、誰もが美の共通認識を持っており、食べ物も、庭園も、すべて完璧に秩序が保たれている。
それが日本文化のすばらしい面であり、よい面です。
でも、暗黒の力もあるのです。
抑圧されたもののすべてが、その力です。
時間に遅れてはいけない、問題を起こしてはいけないと、まるで精神性まで抑えるかのような力です。
日本人特有のコミュニケーション②
日本人は互いに意見が対立したとき、他の地域とはずいぶん異なるやり方でマネジメントします。
対立の合理的な解消のプロセスや本物のディベートを導入する余地は、もっとあるはずです。日本人の一般的な生活の中に、そういったものを増やすべきだと思うのです。
対立を避けようとするのではなく、むしろ対立を増やす、対立にさらされる機会を増やすべきです。
そして、しっかりディベートを行うのです。
彼のこの日本人の見方は、衝撃的でした。
特に、「ソフトな独裁国家」という言葉にはっとさせられました。
太平洋戦争に向かった私たちの先人たちのDNAは今引き継がれている、と思ったのです。
今度はテクノロジーへ服従させられるのですから、ここでしっかりと、日本人の長所と短所をきちんと認識しなければいけないと思いました。
また、ディベートは日本人の一番苦手なことではないでしょうか?
「事なかれ主義」が根底にあって、文句があっても言わない、争いや衝突を避けて振る舞う傾向があると思います。
今の若者はもっとこの傾向が強くなっているように思うのですが・・・。
私の小さいころ、妻は、夫に言い返すなんてもってのほか。
従順な妻が良妻と言われていましたが、私の母は良く父に歯向かっていました。
父と喧嘩すると、必ず掃除を始める人でした。はたきでそこいら中をはたいていました。
現代はどうでしょう。いろいろな夫婦のあり方があるでしょうが、私の年齢でまともにディベートできる夫婦はあまり見たことがありません。
年を重ねて頭に血が上ると死ぬかもしれない?と思って避けてしまうこともあるでしょうが、もともとディベートしてきていないからかもしれません。
若い夫婦はどうでしょう。
お互いに自分の意見を持っているでしょうから、私たちの時代よりは夫婦で話し合うことができるでしょうが、それでもまだまだディベートはできていないと思います。
ディベートができるようになったからと言って、夫婦関係が良くなり、離婚率が下がるわけではないのでしょうね。
冷静にディベートができるようになれば、無駄に我慢することもなくなり、生活は楽になっていくと思いますが、どうでしょうか?
では、今日も1日前向きに!!